希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

敷かれたレールから外れても、何とか生きていけるという件

僕たちは大抵は幼少時から「真っ当に」生きろという刷り込みがなされている。

きちんと学校に通い、いいとされる高校や大学に入り、一流とされる会社に就職することが良い生き方だとされていた。

敷かれたレールに乗って生きていくことが善とされていたのである。

 

一旦レールに乗るとそこから外れることに恐怖心を抱くことになる。

自分に合わない学校や会社から脱することが困難になる。

レールから外れてしまうと、悲惨な状況に陥ってしまうと思い込んでしまうのである。

確かにレールに乗り続けて、環境に順応していれば一見真っ当な生き方をしているように思える。世間から後ろ指を指されることもない。

しかしながら、レールの上から見える景色は限られた世界のものであることに思い至ることはない。

 

僕は就職するまでは何とか敷かれたレールの上を走り続けた。一度は不登校になって、レールから外れかけたがどうにか持ち直して、レールに戻って走り続けた。

けれども、雇われて働くことがどうにも苦痛になり、一旦レールから外れることを余儀なくされた。その時、正直不安や恐怖心で一杯だった。当時はまだ「真っ当に生きる」ということを狭くとらえていて、労働至上主義的イデオロギーに捉われていたのである。

 

実際に敷かれたレールから外れてみると、案外何とかなるものだった。

レールの外から見える風景も面白く興味深いものが多々あった。

単なる取り越し苦労だったのである。

世の中のほとんどのことは「何とかなる」ものである。

楽観的に過ぎるものの見方かもしれないが、悲観的になるよりはましである。

たとえお先真っ暗だと思えるような状況になっても、一筋の光は差し込んでくるものである。

 

レールから外れるようになるな、という他者からの助言は話半分で聞いておいた方が良い。そういうことを言う人は自分がレールから外れたことがない人であり、想像力を欠いた人であるからである。偏った狭量な価値観を持った人であるともいえる。

敷かれたレールの上からのみ見えるものが全世界だという思い込みを持った人の言葉に聞くべきものはない。

 

よくよく考えてみれば、人の生きざまに絶対的に正しいものなんてないのである。

レールから外れるかどうかなんて些末なものに過ぎない。

いかに自分にとって面白いか、楽しいか、ワクワクするかが大事なのである。

敷かれたレールから外れることによって、思いがけない出会いがあったり、面白いことに出会ったりすることを忘れてはならない。

レールから外れたらえらいことになる、という根拠のない不安や恐怖心こそが自分を縛る最大の障壁なのである。