底の浅い善悪二元論に今の世の中は毒されている。
正義の名のもとになされる弱者バッシングや少数派に対するバッシングが後を絶たない。
初出 2018/3/15
僕はほとんどテレビを観ない。
週刊誌の類も読まない。
芸能人や政治家のスキャンダルやゴシップは嫌いではないけれども、その報道姿勢が気にくわないのである。
それは相対的に弱い立場の人には執拗に絡み続け、強い立場にある人はスルーすることである。また、スキャンダルを起こした人に対して「正義」を全面に出して糾弾することである。薄っぺらい正義を振りかざして。
スキャンダルの定番のネタとして不倫問題がある。
確かに不倫行為はほめられたものではなく、「悪い」ことである。
しかしそれは不倫の当事者間の問題に過ぎないものである。第三者があれこれとやかく言う筋合いのものではない。色恋沙汰に他人が首を突っ込むのは「野暮」というものである。
他の定番ネタとしてはカネを巡るトラブルがある。借金未済とか税金の滞納で資産を差し押さえられたといった類の話題である。
これも不倫と同様に当事者間の問題に過ぎない性質のものである。
特に借金の相手が金融機関ならばこれは「契約不履行」の問題に過ぎない。借金を返さないような奴は人でなしであるかのように扱うのはおかしいことである。
それにたかだかカネを返す返さないといった話で人格攻撃をすることは明らかに間違っている。
マスコミ等が舌鋒鋭く絡むのは相手が弱い立場にいるときに限られるのが僕は気にくわない。
芸能人のスキャンダルでも、ジャニーズ事務所をはじめとする大事務所に所属する芸能人に対してはスルーする。力の弱い事務所に所属する芸能人に対しては完膚なきまで叩く。
力のある政治家(某総理大臣など)がどんなことをしでかしてもスルーする。
小さな問題や個人的な問題には異常なまでのバッシングを続け、大きな問題には目を背け続けているのである。
スキャンダルを起こした人たち(それも立場的に弱い人たち)への執拗なバッシングが「正義」の名のもとになされているというところに問題の根深さがある。
決して「悪意」からはなされていないのだ。ヘイトスピーチと同様に。
僕たちは「薄っぺらい正義」に身を置くことに快感を得ているのだ。それも自分とは直接利害関係のない「外側」にいる人間として安全地帯に身を置いて、身近ではない人をバッシングすることで普段の不満や欝憤を晴らすはけ口としているのである。
この「薄っぺらい正義」がいつかは自分に向けられるかもしれないということに思いをはせることもなく。