希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

もしかして、この国のシステムは良くできているのかもしれないという件

僕は最近はニュースを見聞きすることが苦痛になってきている。

私利私益ばかりを追っている政治家や官僚や財界の偉いさん方の目を覆わんばかりの愚行をこれ以上目にしたくない。

俚諺に「鯛は頭から腐る」というものがあるけれども、今はまさにその言葉がぴったりとあてはまる状況である。僕は愛国者であるから、この先のこの国の行方が心配でならない。

 

とは言え、僕は根が楽観的な質なので、あまり悲観的には物事を捉えたくはない。

この社会ではマクロなものからミクロなものまで様々な問題が存在するのは確かである。しかし、ほとんどの人たちは何とか日々の生活を平穏無事に送ることができている。

テロの心配は今のところそんなにない。

暴動も起きそうにない。

街にホームレスが溢れているというような状況でもない。

今のところ通貨は安定している。

領土を失うような脅威はない。

知性の欠片もない無能な政治家や公僕意識を決定的に欠いた官僚や私的利益の追求に汲々としている財界人が大手を振って歩いていても、この国は何事もないように成り立っている。

これはある意味凄いことである。

社会のトップ層がどうしようもなくバカで無能であっても、庶民の生活が決定的に棄損されない、ということは成熟した強固な社会システムが構築されているということである。

 

この社会の指導者層は、強固な社会システムに甘え、寄りかかっているということである。

少々のとんでもない施策を実施しても、ほとんど社会システムに綻びが出ないのである。一方で庶民の側も頓珍漢な政治によっても自分たちの生活は成り立つと達観している。よほどの悪政でもない限り、統治される人たちは「変化」を恐れ、現状維持さえされれば、よしとしているのである。このメンタリティによって現政権は一定の支持を維持し続けているのである。他の先進国では暴動が起きても仕方がないような政策が次々と出されても、庶民は我関せずと受け流しているのである。

シニア左翼っぽいジジイが「今の若いものはなっとらん。わしらの頃は政府に物申したぞ」といった類の妄言を吐いても、誰の耳にも届かない。

この国の人たちは大人しいといわれるが、そんなことはない。60年安保や全共闘といったように政治の季節もあった。戦前にはテロが横行した。ある国民の性質が急に変わるようなことはない。今は「闘争」に至るモチベーションが保てない状況にあるだけなのだ。

成熟し、かつ強固な社会システムが構築されていて、僕たちはそのシステムに無意識的に隷従し、そのことになかなか疑問を持てないような状態にあるだけの話である。

 

現行の社会システムに隷従していることに嘆かわしさを感じることはない。

バカや無能な者がトップに立っても、大きな社会変動がない、ということは喜ばしいことである。

人格高潔で統治能力がスバ抜けて高い為政者がいなければ社会が崩壊するようなシステムは不安定であって、統治される側にとっても不幸である。

僕たちは安定し成熟した強固な社会システムの恩恵を受けているといえる。

 

ただ、いくら安定していて強固なシステムでも限界がある。社会システムなんて所詮は不完全な人間が作り上げた仮初のものに過ぎないのである。

ナチスの支配については、当初は多くの人たちはヒトラーナチスを侮っていた。あんな連中に大したことはできないと高をくくっていたら、あのような惨劇が待っていた。

統治されている者たちは、権力は暴走しがちであり、一旦暴走を始めるとそれを押しとどめることはかなりの困難を伴うということを心しておかなければならない。

 

今現在は現行の社会システムから恩恵を受けていても、何らかのほんの些細なきっかけでその社会システムに綻びが生じてきて、自分たちの生活の安定が侵されることになるということに敏感でなければならない。

この国のシステムがなかなかに良くできている、と安住しているだけでは、もしかすると近い将来にカタストロフィが訪れることになるかもしれない。