希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「うつ」と一生付き合っていかなければならない、と覚悟しているという件〈再掲〉

僕はうつ持ちである。今は寛解しているが、いつ再発するか分からない。

「一病息災」をモットーにして、うつと付き合って生きていくことにしている。

 

初出 2018/2/1

 

僕はこれまでに3度うつに罹患したことがある。

直近のそれは10年ちょっと前、社労士事務所を営んでいた時である。

通院治療をしながらだましだまし仕事をしていたが、結局は廃業をするに至った。

その後、経済的な事情により福祉介護系の仕事を続けたのだけれども、うつから抜け出すことができず、思い切って仕事の量を減らし、今のようなライフスタイルを採ることによってどうにか寛解した。僕の感覚ではうつになる以前の80~90%程度は回復したように思う。

 

うつになって厄介なことは幾つもある。

何事にも意欲が湧かない。仕事をするのが億劫だと感じる以前の問題として日常生活の様々な行為さえ億劫になるのだ。風呂に入るのも億劫だ、掃除するのも億劫だ、といった具合に。活字を読むことなんてできはしない。

うつの状態が酷いときには希死念慮というものが湧き上がる。僕の場合、当時住んでいたマンションのベランダから飛び降りたいという思いがつきまとい、その妄想ばかりが僕をとらえ、その妄想から逃れるために必死になってベッドにしがみついてベランダに足を運ばないようにしていた。

 

うつになった人たちの苦悩として、なかなか自分の苦しさを他者に理解してもらえないことがある。傍目には元気に見える場合が多いからである。怠け病と誤解されることもしばしばある。

また、うつは「心が弱い」人がなるという誤解もある。精神主義がまかりとおるこの社会では精神力が弱いというレッテルを貼られると様々な不利益を被ることになる。極端な場合では、社会人失格の烙印を押されてしまうことになる。

 

うつをはじめとして、精神的な疾患は「完治」することが難しいと言われている。だから状態が改善したときには「寛解」という語を使う。

うつという厄介なものに罹患してしまったら、完治を目指さずに寛解を目指し、一旦寛解したら再発を予防しつつ、日常生活を送り続けることになる。うつと向き合い、うつと一生付き合いながら生きていくことになるのである。

これはこれで悪いことばかりではない。

何より無理をしなくなる。ちょっとだけ人に対して優しくなれる。人の精神力なんてたかが知れているという諦念を抱くこともできる。

 

僕は今のヒマ人的生き方を続けているのは(ダメ人間であるのは)うつに罹ったことによるものである。元々そんなに勤労意欲が高くなく、意識も高くなくて成長志向が乏しいことが相俟ってのものである。

僕はうつになって自分の本質的なものを感知したような気がする。これがうつになって得た果実だと思う。

 

僕はこれからもずっとうつと付き合い続けていく。再発の不安もあるが、再発したときにはまあどうにかなると楽観的な考えを持っている。でも、うつのときのあのしんどさはもう二度と味わいたくない、というのが正直な気持ちだ。

うつの再発予防というものを大義名分にして、僕はダメ人間であり続け、ヒマ人的生き方を貫いていく。これは自己正当化以外の何物でもないが、ちょっとくらい自分に甘くてもいいのではないか、と心密かに思っている。