希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

社会全体が貧しくなるのは悪いこととは言い切れないという件

僕たちは物質的に恵まれた豊かな社会に生きている。

色々と問題もあるけれども、大半の人たちはこの豊かさを享受している。

豊かなことが善であり、貧しいことは悪という共通認識を多くの人たちは共有し、この社会を築いてきた。

 

もはや経済成長は望めない状況となって、これ以上の物質的な豊かさを追求することに疑問を持つ人たちが増えてきている。

若い人たちを中心として、「所有からシェアへ」を好んだり、田舎で農業を志したり、雇われて働く形以外での働き方を模索したり、と従来の価値観とは異なる行動様式を選択する傾向がみられる。

一概に貧しいことが悪であって、経済的成功が善だといえなくなってきたのである。

いわば「共生の原理」を選び取り、競争から共存へと生き方をシフトしているのである。

 

社会が貧しいと、経済的な理由による犯罪が頻発したり、少ないパイを奪い合う不毛な競争が激しくなる、とついつい考えがちとなる。実際にそうした面は否定できない。

しかし、庶民レベルでは皆が貧しいと互助の精神が顕在化する。人々は助け合うようになる。そうすることが生存戦略上有利になるからだ。少ない資源のパイを奪い合うよりも、分かち合う方がそれぞれの人にとって利益になるからだ。

他方、豊かで生命の危機に瀕する機会が少ない社会では競争が激化し、それにつれて格差が増大する。

社会全体が豊かだけど格差が大きい社会と貧しいけれども平等な社会、どちらがいいとは一概には言えない。ただ、カネが溢れている社会がバラ色で貧しい社会が灰色だという単純な世界観を是とするような考え方に同意する人は多くはないだろう、と僕は考える。

 

これからのこの国の経済状況は悪くはなりこそすれ、良くはならない。現状維持ができれば御の字と考えなければならない。いわゆる中流に属する層のボリュームゾーンは細り、富める者とそうでない者との二極分化が進む。後者が圧倒的な多数派となる。

資本主義体制が続く限り、特に新自由主義的な経済政策をこのまま続けるとごく少数の富裕層と圧倒的多数の貧困層という二極化が進むことになる。

 

資本主義体制に変わる新しい経済システムは今のところ見当たらない。ならば、現行の体制下で庶民は現実を見据えて生き延びる手立てを講じるしかない。

しかも、この社会は今後全体として貧しくなる可能性が高い。現にその兆候はあちらこちらに顕れている。

そうなるとこれまで正しいとされてきた生き方や行動様式、競争に勝つことによって利益を手中にすること、自己利益の極大化のみを図ること、といった私的利益のみを追求することにあくせくとする生存戦略を考え直す必要がある。

社会全体が貧しくなっても、自分や関わりあう人たちがそれなりに幸福感を抱けるような日々の生活を送ることができれば万々歳である。そのためには、助け合いとか分かち合いといったメンタリティを持つことが必要となってくる。

こんなことを言うと、「何を甘いことを言っている」といった批判を受けるだろう。しかし、この「甘さ」を蔑ろにした結果が、殺伐とした世の中を作り出しているのだ。

分かち合いや助け合い、共存や共生を志向することが人として真っ当なあり方だと多くの人たちの共通認識になれば、未来は明るいものとなる。