希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

安易にフリーランスになることに僕は同意できないという件

僕はサラリーマンの経験があり、フリーランスの経験もある。

今は半分雇われの身で半分はフリーランスである(半分ニートという説もある)。

僕の働き方としてはフリーランスの期間がサラリーマンのそれを上回る。フリーランスという働き方が僕にとって居心地が良かったからだ。

 

いつの世でもサラリーマンという隷属の身に甘んぜずに独立しろ、フリーになれと煽る人たちが存在する。僕が若いころに沢山いたし、今でも結構多くの人たちが迷えるサラリーマンを煽っている。

僕がフリーランスとなったのはなりゆきである。自分ができそうな仕事を探しているうちに結果として「たまたま」独立してフリーランスの形で働くようになったのである。

独立を煽る人たちの口車に乗ったわけではない。

多くのサラリーマンは漠然とした不安を抱えている。

「このままでいいのか?」

「このまま定年まで宮仕えをして何が残るのか?」

といったような不安を抱えたまま日々の業務をこなし続けている。

 

サラリーマン諸氏が不安を抱えるのは尤もなことである。

雇われて働くという働き方をしている人たちが圧倒的な多数派を占める世の中で、それに抗うことはなかなか容易ではない。やりたい仕事が見つからずにとりあえず就職して、ずっとそのままという人たちが大多数である。

そんなサラリーマンの心の隙をついて、

「誰でも独立起業ができる」

「自由に働くことは素晴らしい」

といったように煽り続ける人たちがいる。

僕はそんな煽りをする人たちを全否定するわけではない。どのような考えを持つかは自由であり、自分の意見を主張することもまた自由である。

ただ、煽るだけ煽って、そのことによって利益を得て、ついでに名声を得て、後は知らぬ存ぜずという態度をとっている人は少なくない。僕はその手の人たちが苦手であり、どんなに有名人であっても認めたくない、というだけの話である。

 

フリーランスという形で仕事をすることは確かに面白い。

僕の実体験からもそう言える。

ただ、面白さの数倍、様々な苦しみがあるのも確かである。

先々の保障はないし、常に集客に頭を悩ませるし、仕事のやり方にもよるが意外と自由でなかったりする。

それにフリーランスとして仕事をし、仕事をし続けるにも向き不向きがある。

端的に言って、人と同じであることに安心するようなメンタリティを持っている人は向いていない。当然ながら、価値基準の上位に安定を置いている人も向いていない。

変化に動ぜず、変化を好む人でないとフリーランスを続けることは難しい。

 

僕は自分の経験を踏まえて言えるのは、フリーランスになろうと思ったら、ちょっとだけ慎重になったほうが良いということだ。別に見切り発車ではじめてもいい。状況がすべて揃うということはないし、揃うまで待っていたらいつになっても独立なんてできない。

フリーランスになれば、色々なこと起こるし、変化を楽しむような気構えを持っていないとなかなかにしんどいものである。自分が刻々と変化する状況に耐えうるかどうかということを問うてみて、多分いける、と判断してからでも遅くはない。こういった意味で「ちょっとだけ慎重」になった方がいい、と僕は思う

 

雇われて働くことだけがまともな働き方ではない。

フリーランスという形での働き方も「まともな」働き方のひとつである。

社会的信用は現状ではイマイチだが、そんなことを気にしていてはフリーランスなんてやっていられない。

フリーランスで仕事をすることは楽しい。

その楽しさと引き換えに様々な苦しみを背負うことになるけれども、そのことさえ分かっていて、そのことを受け入れればフリーランスになるのも悪くはない。