希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「カネさえあればうまくいく」という人を僕は信用できないという件

僕は社労士事務所を営んでいるとき、異業種交流会や勉強会にちょくちょく顔を出していた。今にして思えば、直接的な利益を得られることがなく、徒労に終わった感がある。しかし、色々なタイプの人たちと接することができたのは良かったと思っている。

 

異業種交流会や勉強会では「起業準備中」とか「起業家志望」といった類の人たちが多くいた。それらの中で実際に起業した人は圧倒的に少ない。本当に起業する人は他人に殊更に「俺は起業するぞ」と言い募らないものだ。

ごくたまに起業したばかりの人もそれらの会に出ていて、人脈つくりや顧客獲得を図っていた。

起業準備中の人にしろ起業して間もない人にしろ、時々「もう少しカネがあればうまくいくのに」といった言葉を耳にすることがあった。その当時はさして気にも留めなかったのであるが、そういった言葉を吐いた人たちが事業に成功したという話は聞かない。

 

「カネさえあればうまくいく」と信じるようなメンタリティはあまりよろしくない、と僕は思っている。確かにカネは万能薬的な側面もある。「カネの切れ目が縁の切れ目」という故事成句もある。カネがないためにうまくいくものもうまくいかないといったこともある。

事業にしろ、人間関係にしろ、カネを中心に置き、カネの力に寄りかかりすぎると歪みが生じることがある。

 

カネがあれば万事うまくいく、という考え方に染まると思考停止に陥る。

当たり前の話だけれども、ビジネスにしても人間関係においてもそれらが円滑にいくためには様々な要因が絡んでいる。カネのありなしはそれらの要因のひとつに過ぎない。

 

かくいう僕も社労士事務所を営んでいた頃、特に運営がうまくいかなくなった廃業間際の頃は「カネさえあれば」という思いに囚われていた。カネがもう少しあれば顧客獲得のための手が打てるとか顧客のフォローをもっときめ細やかにできるとか考えていた。

今にして思えば、カネの問題だけではなかったと断言できる。カネがないならないなりに創意工夫ができたはずだ、と思っている。当時はその創意工夫のアイデアが思い浮かばなかった。僕の能力の欠如と意欲のなさのせいで廃業に至ったのだ。

 

カネがあればうまくいくこともあり、またうまくいかないこともある。

カネがないせいでうまくいかないことも多々あり、カネがなくてもうまくいくことも多々ある。

カネのありなしによってすべてが決まるわけではない。

 

僕は自分の失敗体験に基づいて、「カネさえあればうまくいく」という考え方を採らないようにしようと心に決めている。カネの持つ魔力に翻弄され、カネの持つ力に屈服するなんて面白くない。

カネなんて生活を維持できる程度あればいい。

でも、「カネはあるに越したことはない」という悪魔の囁きに時々頷きたくなるのも確かだ。

僕はまだまだカネの持つ魔力からは逃れられていない。