希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

結婚して、持家を買ってこそ一人前という風潮が未だ残っているという件

40歳を超えたあたりから親や親戚から「結婚はまだ?」と言われなくなった。

もう諦めたのだろう。生き方の多様化という社会の流れも関係しているのかもしれない。僕にとっては喜ばしいことである。

しかし、世間ではそうはいかないようだ。以前のいくつかの勤め先で僕が独身だというと怪訝な顔をされたことは一度や二度ではない。さらには「まだ遅くはない、早く結婚すれば」とありがたい助言をもらったことも、これまた一度や二度ではない。

どうやら僕はこの歳になってもまだ「一人前」とは認められていないようだ。

 

僕も若い頃は結婚するのは当然だと思っていた。結婚して子どもができたら、家を買うのが当たり前だと思っていた。「社会人」として「一人前」になるための登竜門だと考えていたのである。

当たり前の話だが、結婚するかどうかなんて全くの個人の自由である。結婚したくても様々な事情によりできないこともあるし、元々結婚なんて真っ平御免だとして積極的に結婚しないということもある。いずれにせよ、他人からとやかく言われる筋合いのものではない。

 

以前にある都市銀行に勤める友人から聞いた話であるが、その職場では未だに未婚者は出世しにくいらしい。役職を得る前提の条件として結婚があるとのことだった(今は変ってきているとは思うけど)。

結婚して、さらには住宅ローンを抱えた社員は会社からすると統制しやすくなる。ちょっとやそっとのことでは会社を辞めないし、会社からの無理難題にも素直に従うからだ。会社が社員を管理しやすくするために結婚を勧めて、ローンで家を買うことを勧める。社員を会社に縛り付け、従属させるための手段となっているのである。

 

結婚してこそ一人前、持家を持ってこそ一人前という考え方は決して間違っているわけではない。それらは「自立」の証と言えるからである。

しかしその一人前となるためのハードルが昔よりもかなり上がっている。

社会状況や労働環境等が不安定化し、安定した生活を営める層が減っている。

ならば、現状に合わせて「一人前」の基準を下げるべきではないか、と僕は思っている。結婚して、持家を持ってこそ一人前とされてしまうと、僕は半人前のまま一生を終えてしまうことになる。これはかなり口惜しい。

働いているなら非正規雇用でもいい、何らかの公的な扶助を受けているならそれでもいい、何らかの形で生活を営んでいればそれで一人前としてもいいような気がする。

 

僕は結婚幻想、持家幻想を全て壊してしまえ、と言いたいわけではない。

結婚も自分の家を持つことも幾つもある人生の目標のひとつとしてとらえる程度のものでいいのでは、と言いたいだけなのだ。そのくらいの「ゆるさ」や「ゆとり」のある生き方を認める方が多くの人たちが生きやすくなると思う。皆が皆、かっちりとした「あるべき生き方」を目指すなんて世の中はとても息苦しくなる。

結婚をしたい人・できる人は結婚すればいいし、持家を買えるだけの経済的余裕がある人は買えばいいだけの話である。それらができる人たちだけが「一人前」ではない、というコンセンサスが成り立つ世の中になってほしい、と僕は願うだけである。