希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「ブラック社労士」はこれからもずっと存在し続けるという件

ネットの記事で「ブラック社労士」のことが言及されていた。

NPO法人POSSE今野晴貴さんの手によるものだ。

昔に社労士業を生業としていた僕にとっては耳が痛い内容である。

 

社労士は主として会社と顧問契約を結ぶ。だからどうしても会社側や経営者側に立って業務をしがちとなる。顧問先の殆どが中小零細企業なので時として経営者個人と契約を交わしているという錯覚に陥る。経営者の意向を汲むのが第一となってしまいがちである。

 

社労士は会社から様々な種類の相談を受ける。社会保険や労働保険に関すること、社員の労働条件に関すること(賃金・労働時間・有給休暇等)、人事考課や給与制度に関すること、助成金に関すること等々である。

ここでは労働条件に関する相談に絞って論を進めていこうと思う。

多くの中小企業では労働基準法が守られていない。このことを気にしている経営者も多い。これらの経営者が社労士に相談するパターンは大方以下の二つに分けられる。ひとつは現行の労働条件を改善し、社員の待遇を本当に良くしたいと考える場合。もうひとつは「見せかけで」労基法を遵守しているように見せかけたいと考える場合である。前者ならば社労士としてはやりがいのある仕事となる。しかしながら、現実は後者のような相談が少なくなかった。

後者のタイプの依頼を受けると結果として労働者の利益を毀損することになる。僕もこのタイプの依頼を受けたことがある。むりやり「変形労働制」を導入したり、「みなし労働時間制」を導入したりといった風に。さすがに今話題の「裁量労働制」をねじ込んだりしたことはない。

 

社会保険労務士は本来ならば会社側(経営者側)と労働者の双方の利益に資するために働かなければならない。しかしこれはあくまで建前であり理想論である。会社・経営者と顧問契約を結び、会社・経営者から報酬を得ることになる関係上、どうしても会社寄りの立場に立つことになる。

 

僕が社労士業を始めた頃はまだ「古き良き時代」の名残があった。

それは社労士は社会保険の手続を代行し、就業規則を作ったり変えたりし、労基法を守るように指導・助言するだけで仕事を得ることができたのだ。顧問先の会社で何か問題が起きても、長期的な視点で問題解決に当たることができたのである。

それが2000年代の半ばころから風向きが変わってきた。社員のリストラに関する相談や社員の労働条件を切り下げる(どちらも「合法的」に)類の相談が増えてきたのである。牧歌的な時代が終焉したのである。

僕はこの手の依頼の多くは断った。僕に倫理観や正義感があったからではない。労働者を酷使するような会社は先がないと考え、そんな会社は近い将来には破綻し、そのような会社とは良好的な関係は築けないのでメリットがないと考えたからである。つまり報酬が長期間に渡って安定的に得られないと思ったからである。僕の「経営判断」である。結果としてこの判断は誤っていて、僕は社労士業を辞めることとなった。

 

要するに多くの会社は目の前の利益、短期的な利益に資する(人件費の切り下げ等)依頼を社労士に投げかけるようになったのである。

一部の社労士は集客のために仕方なく、あるいはそのような状況を「ビジネス・チャンス」と捉えた。このような労働者の不利益に直結するような案件を積極的に受注する社労士が出てきたのである。この点が「ブラック社労士」を出現させる要因となったのである。ある者は事務所を存続させるためにやむなく、ある者はより稼ぐためにすすんで「ブラック社労士」となったのだ。昔ながらの牧歌的な社労士業務は先細りという現状を鑑みて、「合理的な判断」でブラック色を強めていったとも言える。

 

新自由主義的な価値観が社労士業界の在り方を変えたと僕は思っている。

あるいは「顧客至上主義」的な価値観が蔓延したことも社労士の在り方を変えたとも思っている。依頼者である会社の目に見える利益、短期的利益のみを叶える社労士が「できる社労士」という風潮となった。会社が安定的に長期に存続できるために労働者の労働条件を改善・整備するという悠長なことは言っていられなくなったのだ。

 

社労士業界は「ぬるま湯」に浸かっていたのだという批判がある。

牧歌的な時代には社労士業務を既得権として固守していたという批判もある。

それはそれで正当なものである、真っ当な批判である、と僕は思う。

しかしながら、顧客の利益すなわち会社や経営者の目先の利益のみを実現させることが正しいという新自由主義的なあるいは顧客至上主義的価値観に基づいた仕事をせよ、という考え方には全面的に首肯できない。

もし、そういった利益優先的な考え方が善とされれば、おそらく「ブラック社労士」なるものは増えこそすれ減ることはない。社労士ひとりひとりの資質の問題に還元しても何も変わらない。

「ブラック社労士」を跋扈させている根本的な要因は、「正しいとされている価値観」を疑うこともなく自明のこととしている多くの人たちの「ありよう」の問題なのである。