僕は人の成功譚をあまり好まない。別に嫉妬をしているわけではない。
順風満帆にきた成功物語ほどつまらないものはない。そこから得るべきものはない。
失敗や挫折を積み重ねてその果てに何らかの成功を果たした物語は面白い。
人は失敗から多くの物事を学ぶという確信を僕は持っている。
僕のこれまでの人生を振り返ると失敗ばかりしてきたように思う。それらの失敗を糧にして今は成功している、となれば格好いいのだけれども、そうは問屋が卸さない。僕はダメ人間まっしぐらの生き方をしているし、ビンボーであり、ヒマ人のままである。
僕は小学校5年生の時不登校となった。軽いイジメはあったのだが、元々学校がきらいだったことが根本の要因であった。
大学受験では第一志望の国立大学を落ちて私立大学に進学することになった。まあ第一志望の大学に行けていたとしても、今の境遇と変わらないままであったとは思う。
新卒で運よく地方公務員の行政職に滑り込むことはできたけれども、勤め人というものに馴染むことができず退職した。
フリーランスの講師となったり、社会保険労務士事務所を開業したが、成功には至らず、挙句の果てにうつを発症してしまった。
こうして自分の辿ってきた半生を振り返ってみると、見事に失敗の繰り返しである。
僕は僕なりに努力をしてきたし成長をしようともがいてきた。それでも良い結果を残すことができなかった。
以前ならば、成功に至らないのは自分の努力が足りなかったからだと自分を必要以上に責め立てていただろう。僕は純粋に「努力は必ず報われる」と信じていたのだ。
今は違う。
その人がなした努力は報われることがあれば報われないこともある。おそらく大半は報われない。成功に至るかどうかは「時の運」に大きく左右される。といった感じだ。
僕は努力を全否定したいわけではない。何事かをなすためにはやはり努力は必要不可欠である。他方で努力は報われないことの方が圧倒的に多いという事実を受け入れる心の準備をしておかなければならない。
また、ひとつやふたつの失敗をしたところですべてが終わるわけではない、ということも常に心にとどめておく必要がある。
ひとつの失敗を契機に別の新たな生き方が見つかり、充実した生を全うできるということはよくあることである。
失敗ばかりの人生を歩んでいる僕だけれども、僕は悲観はしていない。
社会的地位や名声、富を得ることはできなかったけれども、何となく楽しく面白く生きている。
傍から見れば僕は零落しているように映るかもしれない。ただそれは経済的成功のみを正しい価値観とする偏ったものの見方に過ぎないものである。
僕は自分のこれまでの人生を、今の境遇をすてたものではないと思っている。負け惜しみや自己正当化の心情は入っているにしてもである。
これから先、いい意味でも悪い意味でも何が起こるか分からない。
そのことにワクワクしながら生きていこう。