希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「つまらない仕事なんかない」とは経営者のたわ言に過ぎないという件〈再掲〉

どんな仕事も尊いなんてキレイ事である。

社会の底辺を支えている仕事に従事している人たちに皆が敬意を表しているか、という問いに「そうだ」と断言できるのか。

仕事に格差はある、しかしそれは時代とともに変わる相対的なものに過ぎない。

 

初出 2017/6/29

 

世の多くの仕事はつまらない仕事である、と僕は思っている。

これは全くの僕の個人的な意見である。この世のどの仕事も意味があってかけがえのないものである、という意見もある。これはこれで正しい。ただ、「僕にとって」つまらないと感じられる仕事が多いのだと言いたいだけなのである。

 

どのような仕事がその人にとって面白いかつまらないかは人それぞれであって明確な答えはない。

人の適性はそれぞれで異なっているので、要は自分にマッチしているかいないかの問題となる。人によってはつまらないと感じられる仕事であっても他の人にとっては面白く感じられるということはよくあることだ。

僕が嫌なのは経営者や上司が「つまらない仕事なんてない。だからどんな仕事でも喜んでやれ」という物言いである。

 

実際問題としてやりがいがあって楽しくて仕方がないというような仕事なんてほんの一握りである。そのような仕事をすることができている人は幸運であり幸福である。

大多数の人たちはたいして面白くもない仕事を生活のために仕方なくやり続けている。その面白くない仕事の裡にささやかな達成感等を見出して自分を奮い立たせながらどうにかこうにかやり続けているのである。

 

自分が就いている仕事が面白いかつまらないかは自分で決めつけてよいものである。他人がどうこう言う筋合いのものではない。

成功した経営者やビジネスマン(本当は「労働者」だがそれを認めたくない人種)が書いた自己啓発本なんかで「つまらない仕事なんかない」といった類のことが良く書かれている。それは自分が結果的に運よく社会的に成功したから無責任に言えるのである。つまらない下積み的な仕事も役に立ったと尤もらしい物言いをするのである。自分たちがたまたま成功し、その経験を一般論に帰するのは無意味である。

特に経営者は労働者が自分の仕事がつまらないと感じて勤労意欲をなくせば搾取できなくなり会社の利益が減ることを案じているだけなのである。そのためにつまらない仕事でも喜んでやるべきだという下らないイデオロギーもどきー勤勉が美徳だとかつまらなく見える仕事にも意味があるといった類のーを蔓延らせようとするのである。

 

世のサラリーマン(労働者と言った方が良いが)は自分がやっている仕事がつまらないと感じながらも歯を食いしばって職責を全うしようとしている。そんなサイレント・マジョリティの生き様を上から目線で断罪することは許されることではない。

この社会は決して面白くもない仕事を責任感をもって遂行している人々によって成り立っている。

僕はそういった物言わぬ人々はかけがえのない人たちだと思う。

ただ、いつまでも「物言わぬ」人たちでい続けることはどうだろうと思う。サラリーマン根性に骨の髄まで侵されてはならないと思うし、会社に全面的に隷従する生き方はどうだろうとも思う。

 

今は「物言わぬ」人たちは「つまらない仕事なんかない」なんて経営者や成功者が勝手にほざいているたわ言だと突き放してみる態度を身にまとい、「抵抗の精神」的なものを常に持ち続けて、隷従に抗うような生き方や働き方を模索し続けてもよいはずだ。