希望の舎―再生編ー

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自立とは誰かに「助けて」と言えることであるという件〈再掲〉

今は自己決定・自己責任において「個人」が自立して生きるべきだとされている。

自立した個人がデフォルトという社会が生きやすいものなのかは分からない。

助け合いや相互扶助が軽んじられる社会は人に冷たいものとなるのは確かである。

 

初出 2017/4/13

 

僕たちは常に他者から世間から「自立」することを強いられる。

一般的には生活費を自分で稼ぎ、誰からも援助を受けずに自力のみで生活を成り立たせている状況にあることを自立とみなされる。

世間では自立できていないと目される人たちを「ごくつぶし」だの「甘えている」だのと言い立てて責めたてる。

この国の支配層は人々に対して自立せよと急き立てる。一見自立していないように見える人たちを非国民扱いする。

 

人は自分ひとりの力のみで生きていけるわけではない。

常に誰かと関わり合い支え合いながらどうにかやっていけるのである。もし、己ひとりの力で生きていると思っている人がいたとすれば、その人は愚かだとしか言いようがない。

 

昨今の風潮として、「自立」の意味をかなり狭く捉えようとする傾向がある。ある人が自分の力だけでは生活を成り立たせることができないとき、親族からの援助を受けていたり公的な給付を受けていたりすると、即自立できていないと断罪されることになる。

一方、会社の奴隷となっているサラリーマンは自立していることになっている。サラリーマン根性に浸かり、会社組織に隷属するしかない人たちは自律的に生きていないにもかかわらず立派に「自立」しているとみなされる。

「自立」を経済的なものだけに狭くとらえる風潮が幅を利かせているのである。

 

自立を経済的なものだけに限定するとおかしなことになってくる。

障がい者高齢者、生活困窮者等は半人前の人となってしまう。また国家や隣人に寄生する厄介者とみなすようにさえなる。

元々人は共同体に属し、そこに自分の「居場所」を確保し、共同体の一員として自分の役割を果たし、何か困ることがあったときは共同体から救いの手を差し伸べられ、どうにかこうにか一人前の人間として生きてこられたのである。

しかし、新自由主義的な価値観の下、ひとりひとりは共同体から引きはがされて個人として自立して生きることを強いられるようになった。

俗な言い方をすれば、「お互いさま」として支え合うような生き方は否定され、自分の力のみでどうにかするのが正しい生き方であると刷り込まれ、多くの人たちは途方に暮れているのである。

 

今、ひとりひとりが個として自立することが絶対的に正しいという価値観を見直す時に来ているような気がしてならない。

本当の自立とは、自律的に生きつつも、困ったとき行き詰ったときに誰かに「助けて欲しい」と素直に言えることではないか、と僕は思う。そしてもし身近の誰かが困っているときにはこちらが手助けをする。「お互いさま」の精神でさらっと助け合うのである。

誰かの手を借りることを恥じたり、そのことが自立の妨げとなると感じるのはただ単に洗脳されているだけなのである。

狭い意味(誤った意味)での自立を強いることによって得をする者たちの意のままになってはならない。

 

 

  

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