希望の舎―再生編ー

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「先のことは分からない」という事実を僕たちは看過しているのではないかという件〈再掲〉

将来に不安を抱えている人たちは多い。

当たり前の話である。誰も先のことなんて分からない。

しかし、先のことが分からないからこそ希望が持てるのである。

 

初出 2017/3/2

 

未来に起こることなんて誰にも分からない。

マクロな視点からの未来予測が困難であること、ミクロな視点からの自分がどうなっているかなんて分からないこと、いずれも同じことである。

 

「先のことなんて分からないよ」といった類の言葉を発すると大抵の人は「そりゃそうだ、何当たり前のことを言ってるんだ」と返してくる。

でも、待てよ、そんな返しをする人の行動様式を見てみると、首をかしげたくなるようなものがいくつもある。

35年ローンを組んで家を買う、なんてことは明らかに今の状態が続く(あるいはもっと良くなっている)ことを前提としている。自分の未来がある程度確定している、ということを自明のものとしている。

生活設計なんて代物は未来の自分のあるべき姿を勝手に決めつけたうえで作られている。こうあるべきだとか、こうなっていて欲しいという勝手な願望を既成事実と置き換えている。

 

よくよく考えてみると、昔に思い描いた未来の姿と現在のそれは大きく食い違っているはずだ。

共産主義社会主義国家が雪崩を打って崩壊するなんて考えられなかった。ソ連が崩壊し、東西ドイツが統一するなんて僕が学生の頃はとても考えられなかった。

自国の話になると、こんなに経済成長が止まって、不景気が続き、格差が広がり貧困問題が顕になるなんて思いもよらなかった。

僕がこんなにダメ人間になって、世間で真っ当とされるレールから外れた生き方をしているなんて想像外である(兆しはあったけれども)。

 

僕たちはみんな先のことなんて分からないさと嘯きながらも、自分の都合の良い未来を思い描き、その願望に過ぎないものをあたかもそうあるべきものと思い込んで時を刻み続けている。

ある意味仕方のないことではある。

誰も暗黒の未来なんて想像したくないし、未来が全く捉えどころのない実体のないものとしてやり過ごすのは酷なことである。

人は誰もが自分に取って不都合なことからは目を逸らせたいものなのだ。

 

人生一寸先は闇である。

僕は人生一寸先は光と言い換えている。

先のことは分からないけれども、分からないからこそ楽しくて面白いと考えるようにしている。

自分の未来が確定していたらこんなにつまらないことはない。生きる意欲が失せてしまう。自分は何者であるか、なんて類の探求心は不要になってくる。

先のことが分からないからこそ僕はもがき苦しみ、その苦しみに耐えることができるのである。

 

僕が「安定」というものを忌み嫌い、「安定」なんて幻想だと断言しているのは、未来は予測不能であり、かつ常に物事は移ろい変化するものなのだと本能的に感じ取っているからである。

この本能的なものは誰もが有しているものである。ただ、これは世間で真っ当とされる生き方を疑いもなく続けていれば錆び付くものではないか、と僕は勝手に思っている。僕はレールから外れたからこそ、この本能が錆び付かなかったか、あるいは甦ったのではないかと思う。

このことは喜ばしいことなのか、僕には分からないけれども、喜ばしいことだ、としている。

「先のことは分からない」からこそ、こんなだめ人間の僕でも浮かぶ瀬がある、と思えるからそれは決して悪いことではない。 

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