希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

会社を辞めることなんて大したことではないという件

会社勤めのサラリーマンで一度も会社を辞めたいと思ったことがない人なんているのだろうか。大抵の人たちはこんな会社辞めてやる、という言葉を飲み込んで我慢して勤め続けているのではないだろうか。

 

会社を辞めることはなかなかに難しい。とんでもないブラック企業に勤めていたとしても、あっさりと辞めてしまうことに躊躇する。

特に学校を卒業してはじめて勤めた会社を辞めることに逡巡する。何事も「一回目」のハードルは高い。結婚や離婚も2回目、3回目は軽やかにできる(そんなわけないか)。

 

会社を辞めることは単に仕事や職場を変えるということを意味するのではない。自分が所属する共同体から抜けること、自分の居場所を喪失することを意味するのだ。自分が依って立つ足場を無くすいうのはなかなかに怖いことである。真の意味での「個」が確立されていればそうでもないのだけれども、少しでも会社というものに寄りかかった生き方をしていれば、会社を辞めるということはアイデンテンティ・クライシスをもたらすことにもなる。

 

僕は最初の勤め先を辞めるのに、決心してから1年近くかかった。今の仕事を辞めてしまったら、自分に勤まる仕事なんて見つからないのではないかという不安が消えなかった。また、自分なんかにできる仕事があるのか、という不安もあった。さらには真っ当なレールから外れてしまったら、奈落の底に落ちてしまう、という強い不安もあったのである。それゆえに、退職を決心したもののなかなか重い腰があがらなかったのである。

 

何度かの転職を経験しフリーランスも経験した今だから言えることだけれども、会社を辞めることなんてどうってことはないことだ。会社を辞めても必要最低限の意欲さえあれば何とかなるものだ、と声を大にして言いたい。

勤め先なんてどこでも似たり寄ったりである。また、雇われて働くという形にこだわることはない。ちょっだけ人より詳しい分野があれば何とか自分ひとりが生活できるだけの稼ぎは生み出せる。確かに金銭的には恵まれないかもしれない。有体に言えばビンボー生活を余儀なくされるかもしれない。しかし、ビンボー生活に対する耐性をつければ何とかなるものだ。しょうもない世間体や見栄に囚われなければ、そこそこに楽しくて面白い生活を送ることができる。

 

とは言え、僕は会社を辞めたがっている人たちに「すぐに辞めてしまえ」と無責任なことは言えない。我慢できる程度の不満であるならば会社にしがみついていた方が良い場合が多い。自分が設定した一線(譲れないもの、価値観、労働観、人生観等)を越えた場合に会社を辞めたらよい。

僕の周囲を見渡すと会社を辞めて不幸になった人は皆無である。逆に会社にしがみついてドツボに嵌った人はいる。僕の見聞きした狭い範囲で起こったことを一般化はできないが、どうやら「会社を辞めたらとんでもないことになる」ということはほとんどなさそうだ。

そもそも、新卒で就職した会社に定年まで勤める人たちの方が少数派である。大方の人たちは何度か転職したり、フリーランス・自営として働いたりしている。そしてそれらの人たちは何とかやっていけているのだ。

 

会社という共同体を自由に、気軽に移動できる社会の方が居心地が良い、と僕は思っている。ひとつの共同体に縛り付けられ、その価値観に骨の髄まで浸り、その組織の論理に絡み取られてしまったら、生ける屍のようになってしまう。

良い意味での「個人主義」的な価値観を持ちつつ(「個」の確立とも言える)、共同体の論理に埋没することなく、自分が好ましいと思える共同体を探し求め続け、ひょいひょいと軽やかに渡り歩く生き方が楽しそうで面白そうだと僕は思っている。