希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

現場の頑張りに寄り掛かった組織に未来はないという件〈再掲〉

戦いにおいて「戦略」の稚拙さを「戦術」ではカバーできないといわれている。

戦前の軍部が典型的な例である。

戦略はおろか戦術が稚拙な会社で働かされているサラリーマンは不幸である。

 

初出 2016/12/19

 

経営論やマネジメント論、組織論等でよく現場第一主義が唱えられている。現場の声を無視したマネジメントはダメだということだ。

現場にちょくちょく顔を出し、従業員のモチベーションを高めようとする経営者の姿がメディアに登場することがある。現場に顔を出さないような経営者はダメだという言説もよく聞かれる。

確かに現場を無視した組織は立ち行かなくなることが多い。

 

主だった組織である会社や学校あるいは軍隊においてしばしば見受けられるのは、現場の頑張りに過度に寄り掛かっている、ということである。

言い換えれば、組織の上層部がなすべき戦略の策定やマネジメントが稚拙な組織がとても多いということである。

 

戦前の軍の組織は一部のエリート軍官僚とその他大勢の兵隊からなる典型的なピラミッド型の組織であった。

大東亜戦争における軍上層部の無能さは多くの著作で検証されている。現場の声を無視した上に、過度に現場の頑張りに期待する戦略・戦術を繰り返し無残な結果を招いた。挙句の果てに、満州事変のように現場(関東軍)が暴走し、中央の統制が効かなくなってしまい、現場の成した軍事行動を事後追認するような事態に陥ってしまった。

現場の頑張りに寄り掛かりすぎると現場が暴走することもある、という典型的な事例である。

 

企業社会においても、現場の取り扱いを誤ると経営が行き詰ることがある。

経営層は戦略を練ってマネジメントに専念すべきなのだけれども、現場に過度に介入したり、あるいは現場の頑張りのみに期待すると経営が立ち行かなくなることがある。

一般的に戦略を誤ると、個々の戦術ではカバーできないと言われている。

経営戦略を誤ったりあるいは稚拙だったりすると、現場がいくら頑張ってもどうにもならないのである。ろくな経営戦略もないのに過度なノルマを課して従業員を鼓舞したりするのは愚の骨頂なのである。この国ではそのような愚かなことをやり続けている会社が多く、下手をするとそのような会社はブラック化してしまうのである。

 

教育現場の荒廃も教育制度の基本設計がおかしいのに現場の教員に過度にもたれかかり、過度の責任を負わせて、個人の限度を超えた量の仕事を押し付けていることが起因している。

 

組織の現場の頑張りに過度に寄り掛かると、悪しき精神主義や根性論が跋扈する土壌を生成する危険性がある。合理性を無視した精神主義はその組織を根本から荒廃させてしまうことが多々ある。このことは数多くの歴史的事実が証明している。歴史的事実という大きな話ではなくても、僕たちの身の回りにある多くの組織がこの病理を顕にしている。

このような病理に侵された組織の成員、サラリーマンや教師等は過度の頑張りを強制され疲弊する。最悪の場合には過労死や過労自殺に至ってしまうのである。

 

組織に属する個人の頑張りには限度があるし、個人の頑張りでは組織の病理を取り除くことはできない。同時にいくら現場が頑張っても組織の有する病巣を完全に除去することはできない。

そもそも、個人や現場の頑張りに寄り掛かること自体が大きな間違いなのである。

世の中の多くの人たちは「現場」で働く声なき人々である。

これらの多くの人たちは過度の頑張りを強いられたときに自分を守る術を持っておくが必要だし、その理不尽さに抗う気概を持っておかなければならない。また、時には「逃げる」という手段を取ってもいい。

現場の頑張りに寄り掛かった組織に未来はないのだから。