希望の舎―再生編ー

ライフサポーター&開運アドバイザーが書き綴るブログです。「あなたの心に灯をともす」ため、先人が伝承し語り継いできた叡智を伝えます。テーマは歴史/教育/宇宙論/仕事/居場所/心と体の癒し/健康法/開運法/運気アップ/民俗学/文化人類学/食養生法/少食/自然医学/甲田療法/中村天風/斎藤一人/エドガー・ケーシー/生きづらさ

(隔世の感がある)僕の「就活」体験を語ってみる件

僕が就職活動していた頃はバブル景気の真っ最中だった。

尤もその当時は「バブル景気」という言葉はなく、どうやら景気が良いらしい、もしかすると売り手市場らしい、と言った程度の認識だった。

蓋を開けると早々に内定者が続出し、複数の会社から内定を得る学生も多くいたし、僕の友人・知人たちの多くはいわゆる有名企業から内定を得ていた。

 

僕は地方公務員試験を受けた後に本格的に就活を始めた。

当時は7月の中旬に地方公務員上級試験があり、8月20日(だったと思う)が会社訪問解禁日だった。実際は(今もそうだが)この就職協定は形骸化しており、会社訪問解禁日までに多くの会社は内々定を出していた。

僕が受験した会社は4,5社程度だった。

最初に受けた会社から運良く内定を得ることができた。その会社は非上場ながら業界のシェアは断トツでほぼ独占状態というメーカーで知る人ぞ知るという存在であった。僕は公務員試験がダメならその会社に行くつもりであった。だから、実質的にはその会社から内定を得た時点で僕の就活は終わったのである。1か月にも満たない活動期間だった。

 

僕が就活を終えてからもしばしば自宅に僕の出身大学のОBとおぼしき人から電話があった。有名どころでは野村證券積水化学の社員である(他の社名は忘れた)。まだ採用活動を続けているからわが社を受けてみないかという誘いである。僕は面倒くさいので丁重に断りした。今となって分かったことだが、両社とも「ソルジャー要員」としての採用と考えて間違いなく、万が一採用試験を受けて受かっていても、ドツボに嵌っていただろう。それに大手証券会社は東大や京大出身者は内定拘束として海外旅行に連れて行って他大学出身者と差別的な取り扱いをしているという都市伝説的な風聞が広まっていたこともあり、また金融に興味がなかったとも相まって野村證券の誘いを蹴ったのである。

 

僕が就活をしていた頃はSPIをやっている会社は少なく(僕は一度も受けなかった)、自己分析等の就活対策も今ほどとやかく言われていなかった。僕は全く自己分析をしていない。面接対策のマニュアル本も購入しなかった。

 

僕は結局は公務員試験に合格し、内定していた会社に断りを入れることになった。確か9月の下旬頃で内定解禁日の直前だったように思う。その会社の人事担当者は善い人で僕が公務員試験に受かったから内定を辞退する旨を伝えても、嫌な顔をすることも怒ることもなく、逆に祝福してくれたのである。今も僕はその会社に好印象を抱いている。その会社の商品を目にするたびにその会社の雰囲気や人事担当者のことを思い出す。

 

僕の就活体験は今のそれとは隔世の感がある。

僕はこと就活に関しては生まれた時代が良かったのだとつくづく思う。

ただ、あまりにも就活が楽だったこともあり、会社というものをナメてしまったきらいがある。僕の労働観に強い影響を及ぼしていることは間違いない。

会社なんて景気が良くて売り手市場のときには就職希望者に揉み手をしてすり寄ってくる。

就活なんか所詮は運の良し悪し(生まれた時代とか会社との相性等)の差が出るだけであって、人の価値を決めるものなんかではない。

「真っ当」にサラリーマンとして生きていくには、就職氷河期とまではいかなくても多少は就職状況が厳しい方が良いのかもしれない。その職に就いたありがたさを身に染みて分かった方がサラリーマンとしての覚悟が醸成される。

 

ダメ人間の僕でもそこそこの会社から内定を得られたあの時代のようなことはもう二度と起こらないだろう。

ただし、僕はバブル期を美化することに強い拒否感を抱いている。

あの頃は変な時代でレアケースなのである。

バブルよもう一度、経済成長こそが第一、といった幻想を抱いているかぎりこの社会に未来はない。

 

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