希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

減点主義は人を委縮させ、新しいものを生み出すことを阻害する、という件

学校教育においても、はたまたサラリーマンの世界においても減点主義的な評価方法で選別している。

特にそれが顕著なのが公務員の世界である。

なぜ「お役所仕事」がこれほど批判されても改まらないのかというと、その主な原因は減点主義の人事考課を徹底しているからである。

 

学校教育の領域では昨今は人間力をつけるとか創造性を発揮させるとかのスローガンを打ち出しているが、根本にある減点主義的な選別がある限り何も変わらない。

教育改革なるものはいつもあるべき学生像なるものを上から押し付けて、そこから逸脱する者を選別し排除しているに過ぎない。個性の尊重とは言うけれども、その個性とは国家や企業にとって都合の良い個性であって、本来それぞれの人が持っている可能性をそれぞれの形で発揮させるというものではない。単に学生たちを減点主義によって均質化するものに過ぎないのである。

 

会社や役所等の組織でも減点主義が幅を利かせているように思う。

会社や役所で高い地位に就けるのは減点主義的な評価・選別を経た無難な人たちが多い。既存のシステムを変革させようとしたり創造的な仕事を志向する人たちが高評価を得ているかといえば疑問視せざるを得ない。

出世することだけが職業生活の目的ではないけれども、サラリーマンにとっては大きな関心事であることは確かである。

 

人に対する評価方法が減点主義に偏ると、人は委縮し、組織も活性化されない。何よりも組織内の人たちの思考様式が組織の論理につられて減点主義的になることが怖い。新しいことに手を出さななくなる、人と違うことを恐れる、となると組織は画一化され硬直化し、組織内の人たちの考え方も柔軟性を欠くようになる。社畜や会社人間と揶揄される人たちを生む土壌となる。

 

月並みな意見になってしまうけれども、組織を活性化させ、個人の潜在能力を発揮させるためには加点主義的な評価方法を採り入れるしかない。

減点主義的な評価方法自体が絶対的に悪いわけではない。減点主義に偏るのがいけないのである。組織の実情にマッチするように減点主義と加点主義をうまい具合にミックスさせて、個人にとっても組織にとっても良きようになるような評価方法を工夫して作り上げる。

言うは易し行うは難しではあるがやってできないことはない。

 

そもそも、完璧な人なんてこの世にはいないのである。

誰もが減点される個所を必ず持っている。減点されない人なんていないのだ。「これをやったら減点される」「失敗したら減点される」という意識を持っていたら、やりたいことの半分もできない。

組織を存続させることのみを目的とするならば減点主義に偏ってもいい。尤もそんな組織にずっといたいとは思わないけれども。

人がずっといたいと思う組織・共同体はある程度の失敗を許容する「ゆるさ」があるところである。