希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

人を見かけだけで判断するな、というのは果たして正しいのかという件

僕たちは無意識の裡に人を見かけで判断している。

第一印象が後々まで尾を引くという話もある。

ぱっと人を見てその人が信頼に足るのか判断するというのは元々人に備わった本能なのかもしれない。

 

「見かけ」というのはその人のルックスやスタイルの良しあし、美醜だけを指すのではない。身なりや物腰などの方が重要な判断基準となることが多い。相手が清潔感のある服装をしていれば何となく安心するし、柔らかい物腰の人であれば何となくこの人はいい人だなと判断する。正確なエビデンスがあるわけではないが、そのように人を見極めるのである。

ある人に対する見かけによる判断は後々付き合っていくとそれが合っていることもあれば誤っていることもある。つまり、人を見かけで判断することは正しいとも言えるし、見かけだけで判断することは正しくないとも言える。

まあ、当たり前の話ではある。そう単純にある人の人となりは他者には分かるはずはないからである。

 

しばしば見受けられる言説として人をその装飾品や持ち物で判断しろ、といった類のものがある。自己啓発系の著書に多い。

「男は腕時計と靴を見て見極めろ」とかつては言われていた(今もそうかもしれない)。僕はこの手の言いぐさが大嫌いである(とは言いながら足元には気を付けていたけれども)。どんなに品性下劣な輩でも、カネを出しさえすれば見栄えの良い腕時計や靴を身に付けることができる。一方でたまたま今はカネがなくて見栄えの良い靴を買えない人もいるし、元々が身なりに無頓着な人もいる。深く付き合わなければその人の品性は分からない。相手の身に付けているモノによってその人を判断できるという考え方は底が浅い人間観を露呈している、と僕は思う。

 

詐欺師は一見立派な自宅や事務所を構え、高価そうな服装をして相手を騙すという。スーツを着て泥棒に入る窃盗犯もいる。

これらはいかに人が見かけに騙されるかを物語っている。

 

人を見かけで判断するということは、その見かけによって偏見を持つことである。

偏見を持つことは良くない、これは正論である。

しかしながら、人は誰でも偏見の塊である。

公明正大に偏見なしに生きていくことはとても難しい。

僕たちは常に偏見を持っていることを自覚しつつ、その偏見を払拭するような努力を忘れないようにする、という態度で事に当たるしかない。

となると、人を見かけだけで判断してはいけないぞと思いつつ、ある程度は見かけで判断してその後の関わり合い方を決定するという態度を取り続けることがベターな方法であるといえる。

 

僕としては、見かけだけでダメな奴と見られるのは面白くない。

相手を見かけだけで判断してその後の関わり合い方に悪い影響が出るのも避けたいところだ。

でも、見かけの第一印象が良い意味で外れた時の楽しさ、嬉しさは何事にも代え難い。

僕も良い意味でのそのような見かけ・第一印象から「外れる」人となることができれば、こんなに面白いことはない。