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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

どこの会社で働いても、転職を繰り返してもそんなに変わらないという件

しばらくの期間ある会社に勤めていると、他の会社の方が良いのではないかという思いにとりつかれる。ブラック企業ではないまともな会社に勤めていても、自社のアラが見えるようになってくる。あるいはこの会社では自分は評価されていない、自分の能力が発揮できていないという思いも抱くことになる。特にまだまだ若い頃はその傾向がある。

 

確かに同業種の会社間においても待遇に差はあるし、社風の違いもある。業種が違えばそれらの差はもっと大きくなる。

新卒で入社した会社が自分にマッチする確率はそう高くはない。だから大卒の新卒で入社した社員が3年以内に3割の割合で離職するというデータがある。このことを問題視する向きもあるが、僕からすると7割の人たちが3年以上勤務し続けるということに驚きを感じる。とても高い確率の「宝くじ」ではないかと思う。

 

僕の全くの個人的な考えなのだけれども、どこの会社も似たり寄ったりでどこで勤めてもそんなに変わらないぞ、ということだ。

若い頃は青い鳥的なものを追い続ける行動を取るが、ある程度の年齢になれば青い鳥なんていないことが分かってくる。それゆえに30代を過ぎる頃になるとひとつの会社に落ち着く人たちが多くなるのである。

 

現行の資本主義体制下において会社に雇われて働く(労働者になる)ことは大枠で捉えれば会社に搾取され続けることになり、どのような会社であろうとそれは変わらない。会社によって待遇に差はあるだろうけれども、労働者である限り、大金持ちになることはできない。生活のゆとりに多少の差が出る程度のものである。労働者である限り、「生かさぬよう、殺さぬよう」に会社に搾り取られ、どうにかこうにか日々の生活を送ることができるような状態が続いていくことになる。会社を何度も変わっても、この状況に変わりはない。これは労働者の宿命である。

 

どの会社で働いても、転職を繰り返しても自分の置かれている状況が変わらないとしたならば、心身を擦り減らすまで働いても仕方がないという心境に至ることになる。会社としてはこのような心境に労働者を至らせないために様々な手を打ってくる。一昔前ならば愛社精神を涵養したり組織の一体感を作り出すことに心を砕き、昨今ならば仕事のやりがいや自己実現という幻想を振り撒く。会社による「搾取」という事実を隠蔽し、「賃労働」の本質を覆い隠し、会社のために働くことが善だとのイデオロギーを労働者に植え付けようとするのである。

 

労働者はどのような会社で働いても自分を取り巻く状況は変わらない。

ならば、抵抗の手段、対抗の手段、自衛手段をそれぞれ自分なりに備えなければならない。働きすぎて心身を壊したり、最悪の場合過労死・過労自殺に至るような事態を回避する必要がある。

対抗手段や自衛手段としてどのようなものがあるのかというと唯一の正解はない。ひとりひとりの置かれた状況によってそれらは変わってくる。

汎用性のあるスキルを身に付けること、副業をしてみること、8割程度の力で仕事をこなし最低限の評価を得続けること、などなどいろいろと考えられるが、いずれにしても柔軟な発想で物事を考え、これまでのガチガチの硬直した価値観を突き崩すことが大切なことである。

「ゆるい」労働観を身に付けて、仕事なんて人生のほんの一部に過ぎないと考える、良い意味でのいい加減さ・適当さが大切なのではないか、と僕は思っている。