希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

働く環境を良くするためにはひとりひとりが現実と向き合うしかないという件

この国で働く人たちの多くは労働環境が劣悪な状況にあることに苦しんでいる。

長時間労働サービス残業、誤った成果主義、リストラ圧力が常にかかっている等々である。

新自由主義グローバリズムはごく一部の経営者層・富裕層を富ませるだけで、労働者の生活の質は劣化の一途を辿っている。

 

労働者の職場環境を改善するためには労働者自らの力によってなすことが理想である。イデオロギーに囚われない労働組合の手によって待遇改善の戦いを続けるほか手立てはないのである。

労働者ひとりひとりの力はとても弱い。とても経営者層に立ち向かえない。ならばと「連帯」と「団結」によって対抗するしかない。

しかし、この国の既存の労働組合は闘う力と意欲を喪失している。組織率も低下し続けている。労働組合の存在意義そのものが問われている状況下にある。

 

労働環境の改善を国家の介入によってなすべきだという言説があるが、これには僕は全面的には同意できない。労使の交渉によってしても解決できない事案については国家権力の介入も仕方がないとは思うけれども、安易に国家に頼ることは危険である。

そもそも現政権・与党は大企業の利益を第一にしていて、労働者や庶民の生活なぞ二の次にしているのである。そんな政権が労働者や庶民を利するような政策を採ることはない、と考えなければならない。

 

労働組合は頼りにならない、国家権力の介入は避けなければならないとなると、結局はひとりひとりが個人で現実と向き合うしかない。

あるいは個人単位で加入できるコミュニティ・ユニオンに加わって会社と対峙するしかない。

個人でできることは限られている。その影響力なんて微々たるものだろう。しかし、手をこまねいているよりははるかにましである。

個人でできること。

それはサービス残業の拒否であったり、定時退社を試みることであったり、有給休暇の完全消化を図ることだったりする。職場の同調圧力に屈せず、労働者としての当然の権利を行使することである。

現に労働基準法、労働契約法、労働組合法等の労働法ではかなり強く労働者の権利が保護されている。多くの働く人たちはその知識が乏しくて、あるいはそれを学ぶ機会を奪われていて、会社や経営者の好き放題にされっ放しとなっている。ひとりひとりの労働者は闘う術を手にしているのである。

 

作家の竹内義和さんの言った言葉。

「金持ちはうまくつるんでいて、貧乏人はいつもバラバラである」

これは的を射た言葉である。

労働者や庶民が手を携えることができないのは、為政者の分断統治の結果であると同時にそのメンタリティの問題もある。ついつい目先の利益に目を奪われて、大切な目的達成のための中長期的な視野を持つことができないでいるのだ。

労働者や庶民も「うまくつるむ」ことが大切なのである。

 

労働者ひとりひとりの力は会社や経営層の力に遠く及ばない。

しかし、数の上では圧倒的に多数である。

労働者ひとりひとりが会社や経営層に対峙するために個人でできることをやり、そのうえで連帯し団結して(ユニオンを作ったり加入したりする)数の力で対抗する。

巨象も蟻の大群に倒されることがある、というようにひとりひとりは弱い労働者も大きな山を動かすことができる。

ひとりひとりが現実に向き合うことで道は開ける、と僕は強く思っている。