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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

僕の「ひきこもり」体験を語ってみる件

生きるということ

僕はそれぞれ短期間であるが2度ひきこもりに類した経験をしている。

小学校5年生のときに不登校になった際が1度目、40代半ばのとき社労士事務所を畳んで再就職後にうつをちょっとこじらせたときが2度目である。

前者の不登校時の記憶がもう殆ど残っていないので、最近のひきこもりたい件について語ってみたい。

 

このブログでも時々言及しているが僕は40代半ばの頃社労士事務所の経営に行き詰まり、それに加えて心身に不調を来して事務所の継続を断念した。そして神戸の福祉施設で働くことになったのだけれども、そこでさらに心身の不調が悪化し退職して実家に戻ることになった。

実家に戻ってからは療養と称して1年間ひきこもり同然の生活を送ることになった。

 

数年前の1年間はちょっとだけ辛いものだった。働く意欲が喪失し(今もそんなに勤労意欲はないけど)、何をするにも億劫で、全く読書をする気もなくなっていた。テレビとラジオ、ネットで1日を費やす日々。外出といえば通院と日常品の買い物程度である。このままではいけない、と思っても体と心がついてこない。このまま廃人となって一生を終えるのか、という不安感にも襲われた。

結局、僕の場合はうつが寛解に近い状態となって徐々に意欲が戻ってきて現在に至っている。

今も半分はひきこもり状態ではある。雇われるという形でフルタイムでは働けないので、週に2,3日のペースで働いている。それ以外にはネットからの収入が少々あって、事務代行・文書作成代行・相談・学習支援等の便利屋的な仕事を不定期にしている。

世間では真っ当とはされない働き方ではあるが、うつを再発させないため、二度とひきこもりにならないために無理をしないような働き方を選択している。

 

僕のひきこもり体験はあくまで僕の個人的なものであって普遍化はできない。僕の場合は「軽度」のひきこもりであって、それほどこじらせなかったことでどうにか社会とのつながりを保ちながら生きている。

 

ひきこもりはそれぞれの人たちの環境や背景が異なっているので定型化できないところにその難しさがある。

以前のエントリーでもふれたがひきこもりが「病気」なのではない。

ただ、ひきこもりが長期化しこじれると精神疾患が表れることがある。いわば「二次的症状」が現出するのである。

一方、精神疾患発達障害を要因としてひきこもりに至る場合もある。

いずれにせよ、表に現れた精神疾患の症状や発達障害による不適応を「治療」や「改善」しさえすればひきこもりから脱せる、という単純なものではないのである。

 

僕は自分のひきこもり体験を美化などしたくない。

ひきこもることによって気づきや何か大切なものを得たといった類の美談にはしたくない。

ひきこもりにならない方が良いに決まっている。

ただ、ちょっとしたきっかけで誰でもひきこもりになることがある、ということを実体験したという意味においては多少なりとも意義がある。

ひきこもりに至る理由はすべてが社会システムの歪みのせいではないし、すべてが個人の資質によるものではない。

ひきこもる「自由」を全面的に否定してはいけないし、ひきこもりを全面的に正当化してもならない。

僕にはこの程度のことしか言えない。