希望の舎―再生編ー

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「会社のために尽くしたのに・・」という泣き言はとても見苦しいという件

ビジネスシーンを描いたドラマや小説でリストラされた社員が「あれだけ会社に尽くしたのに」というセリフを言って非情な会社に恨み言を吐く場面が時々ある。

僕の周囲にはそのような言葉を吐く人は見当たらない。

このことはたまたまであって、会社社会の不条理にさらされ、意に反した離職を強いられる人たちは多く、会社に尽くしたのに云々と言いたくなるような人は多いのでは、と推測する。

 

ある調査によればこの国の労働者は意外と会社に対する忠誠心は低いという結果が出ている。その一方で今在籍している会社で働き続けることに「なるだろう」と考えている人も多い。

つまり、元々は会社に対する忠誠心はそれほど高くはないが、長期間の勤続を志向する傾向が強く、結果として組織の論理に絡めとられて会社ありきの自分、というメンタリティが形成されるということだろう。

会社という組織は昔ほどではないにしても、未だに多くの会社は社員に強くコミットメントを求め、さらには忠誠心を求めているのである。社員は会社組織での評価を得るために忠誠心を示さねばならない場面に直面する、といったところだろうか。

そして自分の忠誠心が報われない事態に遭遇すると、「自分はあれほど会社のために頑張ったのに」と思ってしまうのである。

 

長期間勤め続けていて退職勧奨や指名解雇を受けると、自分自身が全否定された感覚に襲われる、ということは理解できる。実際はある特定の会社において評価されないだけ、つまりローカルルールでの限定的な評価に過ぎないのだけれども、サラリーマン根性にどっぷりと浸かってしまうと自分の存在価値を疑ってしまうのである。

 

会社のために尽くすという行動様式が合理的で自身の利益に適うものなのかは今となっては疑わしい。

江戸時代の幕藩体制下では組織(藩)の間の移動は強く制限されていて、移動の自由はなかったという。再仕官は困難を極めた。そのために幕府は様々な浪人対策を講じている。また、脱藩は重大な犯罪とされていた。有名な坂本龍馬土佐藩からの脱藩は命がけの行為であり、通常は考えられないような突飛な行動だったのである。要するに主君や藩に忠誠を誓い、忠節を尽くすことは生き残りのために最適化戦略だったのである。その名残が明治維新、資本主義の興隆、軍部の跋扈、敗戦、高度経済成長を経ても消えることはなかったのである。

 

この国の人たちは元々は個人主義的、あるいは利己主義的である、と僕は考えている。他方でムラ社会、武士階級の規範の影響から集団の論理に絡めとられやすいという特質を有している。内面と外部からの圧力との軋轢が強く存在する社会である、ともいえる。

元々は自分勝手に生きたいのだけれども、組織に尽くすような生き方を強いられる。そして一旦組織から放逐されてしまうと、強く疎外感を覚えるようになるのではないだろうか。

 

僕は労働者の立場でのものの見方をし、リストラをされたサラリーマンに悲哀を感じ共感する。

しかしながら、「会社のために尽くしたのに」という恨み言をいつまでも言うような人たちには同情はするが、共感はしない。そのような言動は見苦しいとさえ思ってしまう。

たかだかひとつの会社という組織に見放されたからといって人生が終わったわけではない。自由を犠牲にして組織の論理に絡め取られた生き方が正しいもの、楽しいものとは思えない。

本来持っている自由気まま、勝手気ままな生き方をしたいというメンタリティを思い起こしてもいい。

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