読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

自慢話を得意げにする輩はロクなもんじゃないという件

社会について考えてみる

僕だけに限らず多くの人たちは他人の自慢話に辟易する。自慢をしている当人は気分がいいのかもしれないが、聞いている方は苦痛以外の何物でもない。

 

自分のことを自慢する奴にロクな奴はいない。

僕の独断と偏見ではあるが、僕はそう確信している。

サラリーマンであれば上司や先輩の武勇談(殆どは大したことないショボイものである)を酒の席で聞かされた経験があると思う。ちっぽけな成功体験をさも普遍の真理の如く話す輩は小人物だとみなしてよい。そのちっぽけな成功体験をよりどころとして生きている寂しい人間なのだと憐れんでやるとよい。

 

ちっぽけな成功体験を後生大事にし、それを他者に滔々と話して恥じない人たちの多くはサラリーマンであった。僕の狭い範囲の体験からの話であるが。

僕が社労士事務所を営んでいるときに、よく異業種交流会や勉強会に顔を出していたが、そこで出会ったサラリーマンの多くは自社自慢、自分の仕事自慢をしていた。僕にとってみればこの手の自慢話は全く面白くないし何の得にもならない。たとえ何十億円のプロジェクトを扱ったといった類の話でも、それは会社という庇護者のいる中での話であり、「歯車」としての話である。

僕の反応が薄いことを察すると、彼らはそそくさと僕の許から去って行った。僕はそんな人たちに出会うたびに、何を目的に来ているのだろう、「交流」の意味を理解していないな、と常々思っていた。

 

一方で、起業家や創業社長、フリーランスといった人たちから自慢話を聞いたことは殆どない。話の内容の大半は世間話、時事の話といったところなのだが、親密度が高まると失敗談や1円の利益を出すことの難しさといった話になることもあり、そのような話はとても興味を惹かれ面白かったことを覚えている。

 

僕は殊更にサラリーマンを貶めて、起業家やフリーランスを持ち上げようとしているわけではない。立派に仕事に精進しているサラリーマンもいれば、カネの亡者のような起業家や創業者もいる。ただ、社労士時代に数千人の人たちと出会い、僕が実際に体験し感じたこととして、圧倒的に起業家・創業者・フリーランスの人たちの話が面白かったということである。自慢をする人が少なかったという事実を言っているだけである。

 

やたらと自慢をする人種として政治家がいる。

彼らは自分の業績だけではなく他の人がなした業績までをも自分のものとし、滔々と自慢する品性下劣な人種である。有権者にアピールする必要があるのは認めるが、度を超えた自慢は興ざめする。政治家の話は話半分どころか10分の1、いや100分の1として聞いた方がよい。

 

繰り返して言うが、自分のことを自慢する奴にロクな奴はいない。

自慢をするということは、自分を実体以上に大きく見せようという邪な考えが内在している。自分の持つ器量を嵩上げしている。

そんな輩はいつか化けの皮が剥がれることになる。