希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

ビンボー人は「敗者」ではないという件〈再掲〉

ビジネスに成功して経済的に豊かになった人が勝者だとされることにどうも合点がいかない。たとえそれが資本主義体制を支えるイデオロギーによるものだとしても。

そもそも何事にも勝ち負けをはっきりさせること自体が間違っている。

 

初出 2016/6/28

 

カネ万能のこの世の中でビンボーであるということはかなりのハンディとなる。「カネがすべてではない」なんて言いぐさは所詮は綺麗ごとに過ぎない。資本主義体制の社会ではカネを多く稼げる者、カネを沢山持っている者が勝者であり、カネを人より多く稼ぐことが正義なのである。

 

となれば、僕はこの世の中では「敗者」となる。

何度もこのブログで書いてきたが、僕はカネ儲けが下手くそである、絶望的なまでに。カネ儲けに徹することができない「甘さ」が僕にある。これは致命的な欠点である。この世の中では僕は上昇できない。

そこで僕は開き直ることにした。

カネ儲けが下手でどこが悪いんだと。ビンボー生活をしてはいても、卑下することなんてこれっぽちもないと。

 

カネ持ちだからといって人間として優れているわけではないし、ビンボー人だからといって劣っているわけではない。

カネ儲けの才とは人が有する才能の内のひとつに過ぎない。カネを稼ぐ能力が高い人が称賛されるようになったのは資本主義が勃興してからに過ぎず、歴史的には浅いものである。また決して絶対的な価値基準ではない。

 

しかしながら、ビンボー生活はなかなかに辛いものがある。

いちいちモノを買うたびに値札とにらめっこをしなければならない。預金残高ゼロの恐怖を何度も味わってきた。時には生活費を稼ぐために意に反した仕事をしなければならない。困っている友人や知人を経済的に助けようとしても、懐事情がそれを許さない。このことが一番辛い。

 

ビンボーに耐えるためには何よりも自己肯定感を持ち続けていなければならない。誇りや矜持を捨ててはならない。カネはないけれども「落ちぶれてはいない」と自分に絶えず言い聞かせ続けなければならない。たとえ人から落ちぶれていると見られていたとしても、ある一線で踏みとどまっていなければならない。

ビンボー人は常に精神の鍛錬が欠かせないのである。

 

ビンボー人はビンボーであるがゆえに自分の置かれた状況に悲観せず、その生活の中に楽しみを見つけながら生きている。

資本主義のこの世の中に、カネ万能のこの世の中に自分なりの異議申し立てをしているのだ。決して革命を起こせとか、世の中を滅茶苦茶にしたいとか大それた願望を持っているわけではない。消費に溺れ、消費を強いられているご時世にちょっとした抵抗をしたいだけなのだ。

 

ビンボー人であることを威張ったり自慢したりすることはどうかと思うけれども、何も自分を卑下することは全くない。

ビンボー人を続けていると生活の知恵が付くし生き延びる術を手にすることができる。

ビンボー人は決して人生の「敗者」ではない。