僕は高校を卒業して大学に入学してから40代半ばまでひとり暮らしをしていた。大学生のときはいわゆる学生専門の下宿屋で住んでいて、そこでは共同生活の要素もあったので完全な一人暮らしを始めたのは社会人になってからである。
なぜひとり暮らしを選んだかといえば、親元から離れて自由に暮らしたかったことと、当時はひとり暮らしをして「自立」することが当然という考え方に毒されていたからである。それでわざわざ実家から遠い所にある大学と職場を選んだのだ。
ひとり暮らしにはコストがかかるしリスクもある。
家族であるいは複数で共同生活をしていたならシェアできる電化製品なんかを個人で所有しなければならない。
職を失って収入がなくなり貯金も底をついてしまうと家賃が払えなくなり住む場所を失うこともある。住む場所を確保するため(家賃を払い続けるため)にブラック的な会社に働かざるを得なくなるおそれも生じることになる。
ひとり暮らしで「自立」した生活を続けることはなかなかにしんどいことなのである。
政府や経済界は自立した生き方、ひとり暮らしをやたらにすすめている。
それは至極当然のことである。
ひとり暮らしをする人たちが増えた方がモノが売れてサービスが売れて消費が拡大し、経済成長につながるからである。例えば、大きめの家電商品は家族単位でひとつあれば事足りるものも個人単位で売れればそれだけ売り上げが上がる。
政府は国民が精神的に「自立」することなぞ全く望んではいない。「個」が確立した人々が増大して抵抗されたら困るのである。ただ、表面的に経済的に自立した人たちが増えればよいと考えているだけである。物言う国民、考える国民ではなくただの消費者であってさえいてくれればよいのだ。
この国では大家族から核家族、そしてひとり暮らしへと世帯の形が変化している。大家族であればシェアできるモノが多くなる。必要とするモノが少なくなるし、住宅の必要数も少なくなる。これではメーカーや住宅会社、不動産屋の儲けは増えない。家族を構成する人員が少なくなるほど、家族が細切れになるほどモノが売れるし住宅の数も必要になる。家族・世帯単位でモノを売るよりも個人バラバラにモノを売った方が消費量が増えるという算段を経済界ではしているのである。
まずは夫婦単位で家族を形成し、子どもが生まれてその子どもが成長したら家族から離れて独立することが当然だというのはアングロ・サクソン系の人たちが生み出した価値観である。個の確立と自立を重んじる価値観である。この価値観が絶対的に正しいわけでもなければ、誤っているというわけでもない。あくまでひとつの考え方である。現に大家族主義の国や社会は世界の至るところにある。
家族で支え合って足らないところを補いあいながら生活することは合理的なことである。家計支出を抑制し、その支出の効果を最大化する機能が家族にはある。
しかし、支配者層に属する政府や経済界にとってそのような合理的な選択をされては困るのである。経済成長が鈍るし、業績が縮小してしまうからである。経済成長至上主義下では家族の規模が小さくなればなるほど好都合なのである。
昨今の若者の一部はシェアハウスに住むことを好み、またモノをシェアすることも好んでいる。これは賢明なことである。モノや家を「所有」することにこだわると生活の質が劣化することに気付いているのだろう。
自立してひとり暮らしをすることが当然だという考え方に疑いの目を持った方がよい。
もしかすると、それは誰かが企てている陰謀なのかもしれない。