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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「成功モデル」なんてそんなものは実は存在しないという件

社会について考えてみる

多くの人たちは「成功」を目指して学習をしたり仕事をこなしている。 

その成功の形は人それぞれであって、本人が納得しさえすればいいはずのものである。しかし世の中にはお節介な人がいて(それらのひとたちは「識者」と呼ばれている)、成功には何か決まった形があり、それを目指すことが本当の成功だと吹聴したがるのである。

 

世に流布する「成功モデル」は経済成長至上主義イデオロギーが幅を利かせていることもあって、その殆どは経済的成功と自己実現を伴うものとなっている。

有名大学を卒業して有名企業に総合職として就職し出世を重ねる。

起業して自分の会社を大きくする。

弁護士や医師、公認会計士等の知的な専門職に就いて顧客をたくさん抱える。

これらが典型的な成功モデルとされていた。

それと私生活では適当な年齢に達すると配偶者を得て子どもを持ち、持ち家を購入し、老後は悠々自適の生活を送る。

要するに自己実現ができるやりがいのある仕事をして懐が豊かになり、私生活も充実させる、ということが成功だというのである。

 

これらの紋切り型の成功モデルに拒否反応を示す人が増えていると言われるが、一方で従来の成功の形に囚われている人たちも未だに多い。

「成功」に至らないと自分は「負け組」に転落し、一生浮かび上がれないという強迫観念に囚われる人が結構な数存在する。こういった人は高学歴者に多い。高い学歴を得たからにはそれなりの成功をしないと世間から白眼視されるという思い込みがあるのだ。

 

僕もかつては成功を目指し、自分に鞭打っていた。

世間から立派な人に見られたい、「できる人」と思われたいとして無理を重ねていた。社会的な成功=豊かな人生との刷り込みがあったのだ。

僕の考える成功モデルが前述のような経済的な豊かさを得ることのみを「成功」ととらえる型に嵌ったものだったのである。まさに視野狭窄に陥っていたのである。

 

よくよく考えてみると、「成功モデル」なんて眉唾物である。

今となっては「成功」ばかりを目指すことは品の悪い所業だと僕は思っている。

確かに「成長」するための一つの手段としてまっしぐらに成功を目指して自己啓発に励むことはありだとは思う。しかしながら、その成長志向を経済成長至上主義的なものに全て絡み取られるのはいかがなものか、と強く感じる。

 

世間一般に言われる「成功」から外れた(競争に敗れたにしても、意識的にしても)人たちを敗者と一括りにして嘲笑するようなことがあってはならない。

世間に流布する「成功モデル」、特にメディアが垂れ流すようなそれは幻想に過ぎないものである。

 

「成功モデル」なんて実は存在しないフィクションである。

あるいはそれは資本主義体制下の経済成長至上主義イデオロギーに過剰適応しただけのものに過ぎない。

人は経済成長に資するためだけに存在するのではない。

経済的豊かさを得るような成功だけを求めて生きているわけではない。

こんな当たり前のことをわざわざ言うこと自体、どうかしている。