希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

正社員としての経験だけがキャリアではない件〈再掲〉

僕は以前に社労士事務所を自営していたときの実務経験が「キャリア」とは認められない、という目に遭ったことがある。

逆に言えば大した仕事をしていなくても正社員でありさえすればキャリアとして認められるわけだ。

うーん、どうにも納得できない。

 

初出 2016/6/9

 

僕は数年前、社労士事務所を自営しながら就職活動をしたことがある。事務所の経営状況が悪化して廃業を視野に入れていた頃だ。

就業規則の作成、労働相談、社会保険実務、人事給与制度の策定等を結構な数こなしていたので、人事労務管理分野での汎用性のあるスキルを有していると自負していた。結果、見事に玉砕した。ある人材紹介会社のスタッフが本当のところを言ってくれた。この国では会社組織でこなした仕事、加えて正社員としてこなした仕事しか評価されないと。僕みたいな奴は年齢もいっているし、なまじ専門知識を持っているので扱い辛いということだった。

 

僕は社会保険労務士という資格が知名度がない、とか専門性が低いとは思っていない。資格取得後にきちんと勉強し、実務を積めば、労働・社会保障分野では弁護士に負けない専門性がある。

その弁護士にしても独立するか法律事務所にイソ弁として働く以外になかなか会社ではその専門性を活かすことができない。渉外弁護士の活躍の場が少ないのだ。他の専門資格、公認会計士や税理士、弁理士なども会社での活躍の場は限られている。

 

会社に雇われて働く際に、専門家と目される人たちは冷遇されている。確かに一部の会社、多国籍企業ベンチャー企業ではスペシャリストを活用する傾向はあるが、伝統的な日本の大企業では自社で新卒で雇った社員でまかなう。例えば法務セクションでは弁護士よりも、総合職で配属した正社員の方が専門知識はさておき「使い勝手が良い」のである。これは経理セクションでも人事セクションでも同様のことがいえる。

 

スペシャリストと目される人たちでもその専門性を会社組織では評価されないのだから、パートや派遣といった非正規雇用で働く人たちのスキルが評価されないのも頷ける。

殆どの会社では正社員として勤めたキャリアしか正当な評価はしない。昨今の非正規雇用で働く人たちの中には正社員と同等の仕事をしている人が多く存在する。本来ならば、「仕事内容」に基づく評価をしていれば、非正規雇用であろうと正当な評価がなされなければならない。しかし、非正規雇用という「身分」にこだわった「属人的」評価しかできない会社が大半であるのが実情である。その会社内での評価だけではなく、転職の際にも非正規雇用の人たちはかなりのハンデを負っている。パートや派遣という雇用形態を問題にされて、真っ当な処遇を受けることができないでいる。同一価値労働同一賃金の原則がないこの国では新たな身分制が敷かれているのである。

 

正社員として会社に雇われる働き方を放棄している僕のような者はまだいいが、大半の人たちは正社員として働くことを望んでいる。特に配偶者を持ち、子を持つ人たちにとってはそうである。正社員幻想がまだまだリアリティを持っているのだ。正社員という「身分」を得なければそこそこの生活レベルを維持できないのである。

 

ただ、正社員としてのキャリアがどこまでものを言うかと問われれば、これまた心もとないものである。ある会社でのキャリアとは、所詮はその会社でしか通用しないローカルなものに過ぎない。ほとんどのスキルは汎用性がない。それぞれの会社のやり方があり、社員はその会社のやり方にしたがって仕事をしている。下手をするとその会社のやり方に浸かってしまい他社では使い物にならなくなることもある。

 

つまり労働者である限り決して「勝ち組」(嫌いな言葉だが)にはなれないのである。

正社員としてのキャリアしか評価されない、しかし、そのキャリアも汎用性がなく、常に会社ごとのやり方に左右される。

でも、悲観することはない。救いはある。

結局生き残ることができるのは、いや生き延びることができるのは、自律的に仕事をしてきた人たちである。会社の色に染まらず、会社でのキャリアに安住しない働き方をすることで、自分の色を持つことができた人たちである。ひとつの会社にい続けるにしても、転職を繰り返すにしても。

 

これからの時代は正社員としてのキャリアのみに価値を置く考え方を改めて、非正規雇用フリーランスでのキャリアにも価値を認めるようにならないと先細りになる、会社にとっても働く者にとっても。