希望の舎―再生編ー

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人事のプロ、採用のプロなんていない件〈再掲〉

採用のプロと自称する輩であったり、俺は人を見る目があると自称する輩を信用してはならない、と僕は思っている。

会社や役所においての採用とは所詮は合うか合わないか、使い勝手が良いかどうかを判断するものに過ぎない。

 

初出 2016/5/31

 

僕が社労士をしているときにちょくちょく人事や採用のプロと自称する人たちに出会った。それは同業者の場合もあれば会社の人事総務部に籍を置くサラリーマンの場合もあった。その当時はそれらのプロを自称する人たちに敬意を表して話をじっくりと聞き、名刺交換をし、再会を約束してその場を収めていた。彼ら彼女らの自信たっぷりの言葉を聞くと自分の不勉強さ自信のなさを思い知らされたものだった。

 

今はこう断言する。

人事のプロや採用のプロなんていない。眉唾物だと。

いや、こう言い換えよう。自称人事や採用のプロは沢山いるが、結果を伴った本当のプロなんていないと。

大体社労士やコンサルタントの類は人より少し専門知識があるだけであり、会社で人事に携わっている人たちは人事異動でたまたまその席にいるだけであるに過ぎない。

その程度の人間に人を見抜くことなんてできるわけがない。そもそも誰かが誰かを見抜くことができると考えること自体がとても傲慢で身の程知らずの所業である。

あの松下幸之助さんでも、人を採用するときには「あなたは運がありますか」と尋ねて、運のあるなしで決めたというエピソードがあるくらいだ。それほどに人が人を選び、見抜くという行為は難しさがあるということなのである。

 

採用のプロと称する人たちにできることはいかに自社になじむ人を選び取るかということだけである。優秀か否かを判断する必要はない。「無難」な人を選び、それで事足りるのである。確かに無難な人選、自社に適合する人を選ぶことならば、経験によってカバーができる。

ところが、多くの会社では無難な人選をしても、一定の割合で会社に馴染めない人たちが生まれるし、思っているほど成果を上げられない人たちが生まれてくる。

「採用のプロ」が人選するのであれば、この一定の割合が限りなくゼロに近づくはずである。ただ、自称「採用のプロ」にそこまで求めるのは酷なことである。彼らは所詮はサラリーマンなのだから。

 

「人事のプロ」についても同様のことが言える。

人事制度なんて少々その筋の著書を読めば設計できる。その設計した人事制度がうまく稼動するかはまた別問題である。

適材適所の人員配置をすることはある程度経験則から導き出せる。しかし、社員が皆納得するような人事なんて不可能である。どうしても一定割合で職場に不適合な社員が出てくる。

 

要は人事や採用に絶対的に正しい理論は存在しないのである。もっともらしい理論もどきは数多く存在するが、結局はそれぞれの会社の実情に応じてケースバイケースで対応するしかないのが実態なのである。

 

人事のプロや採用のプロなんて本当は実在しないし、不必要なものなのである。会社に多大な利益をもたらす人材、イノベーションを起こす人材が得られたら、それは運が良かったと割り切るべきなのである。同様の割りきりが会社に馴染めない社員、成果が全く上がらない社員に当たったときにも必要である。

間違っても「俺は人を見る目がある」と嘯く輩を信用してはならない。 

 

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