希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

平日の昼間から酒を飲む人を見ても何とも思わない、そんな社会になればいいという件

平日の昼間から酒を飲んでいる人を見れば、真っ当な人は眉を顰めるだろう。その感覚がマジョリティの持つ至極まともなものである。

オフィス街と住宅地を往復するような生活を送っていれば、平日の真昼間から酒を飲んでいるような人には出会わない。そのような環境にいる人たちはおそらくは休日でも昼間から居酒屋に行く人は少数派であると思う。せいぜい自宅で軽く飲む程度である。

 

僕は高校卒業までは地方都市に住み、大学はいわゆる文教地区にあったので昼間から酒を飲む人には滅多に出会わなかった。

ところが働くようになって神戸の新開地に住むようになったときに昼間から酒を飲む人たちをよく目にするようになった。軽いカルチャー・ショックを受けたことを覚えている。当時の僕はそのような人たちに対して侮蔑に似た感情を抱いていた。働きもせずに酒に溺れている底辺の人間だと思っていたのだ。まともな大人は昼間は働き、夜にだけ酒を飲むものだと思い込んでいたのだ。

夜勤明けに1杯やっているとか、仕事にあぶれて所在がないので酒を飲んでいるなどの想像力が欠けていた。

 

大阪でいえば西成の界隈とか十三界隈ではいわゆる真っ当な考え方は通用しない。昼間どころか朝っぱらから飲んでいる人もいる。そこでは朝から酒を飲んでも咎める人などいない。所変われば品変わるのである。

 

僕は今の生き方、働き方にシフトしてから平日の昼間に街をうろつくようになった。僕は酒を飲まないので、さすがに真昼間から飲み屋には行かない。喫茶店に入り、タバコを燻らせながら読書をすることが至福の時間である。周りを見渡すと打ち合わせや休憩しているサラリーマンか主婦らしき人たちばかりである。あるいはシルバー世代の人たち。当初は居心地の悪さを感じていたのだけれども、今は何も感じなくなっている。いい大人が平日の昼間に仕事もせずにコーヒーを飲み、ぶらぶらしているとは何事かと、そう思われていたとしても、別になんとも思わなくなった。

 

僕は何も平日の朝から昼間からどんどん酒を飲もうと言いたいのではない。アルコール依存症にならない程度ではあるけど、昼間から酒を飲む人たちがいてもごく当たり前の風景としてやりすごすような余裕があればいいと思っているだけだ。僕のように昼間から街をぶらついたり、喫茶店でコーヒーを飲んだりしている人がいてもごく普通だとの感覚が一般的になればいいと思っているだけである。

 

真昼間の飲酒を許容するような「ゆるい」社会になれば、僕のような人間はとても生きやすくなる。

あるべき生き方やあるべき生活パターンが雁字搦めに決められたら、生きづらくなるし、何より面白くない。

この社会がタイトであり続け「ゆるさ」を拒絶するのならば、僕は「ゆるさ」が漂うコミュティを見つけて、その場での時間を大切にしたい。

「ゆるい」場がひとつでも多く増えることを僕は切に願っている。