希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

就活での自己分析等はアバウトなものでよいという件

いつの頃からだろうか就職活動で「自己分析」なるものをしなければならない、となったのは。僕が就活をしていた頃は自己分析をしろなんてそんなに言われなかった。

僕が専門学校で就職対策講座の講師をしていたときにこの自己分析を学生に課したのだけれども、ほとんどの学生は「めんどうくさい」と言っていやいややっていた記憶がある。自己分析は就活に対する意識を高め、自分の適職を探すことが目的なのだがあまりに細かくそれをすると逆に就職に対する意欲が低下するという負の側面もある、というのが僕の肌感覚である。

 

自己分析では自分の生い立ちからはじまって長所や短所、学生時代に熱中したこと頑張ったこと、興味をもっていること等々沢山の自分に関することをほじくりださなければならない。

自分の夢、やりたい仕事を見つけることが就活にとって大切なことだというが僕はこの考え方に違和感を持っている。

 

20歳そこらの学生が明確にやりたいことを持っていることは稀である。殆どの学生は何となくこんな会社に入りたい(名の通った会社が多い)と漠然と考えているだけで、希望の職種を絞っている学生は少数派である。

「適職」なんて実際に働いてみないと分からないものである。自分に合う仕事かそうでないかなんて実際にその仕事について一定期間従事してみないと判断できないのは当然のことである。

 

そもそも、自分が本当にやりたい仕事なんて学生のときには見つからないものだ。一部の例外的な意識の高い学生を除いて。

同様に自分に合った仕事も分からなくて当然である。

就活なんて元々が無理難題を押し付けられている、と考えてもいい。

 

自分が就く仕事を選ぶ判断基準は、「やりたいこと」「自分に合ったこと」「できること(できそうなこと)」「好きなこと」くらいなものである。

「やりたいこと」と「自分合ったこと」が何なのかは前述のように実際に働いてみないと分からない。これらの要素を就活の際に重視すると最悪の場合袋小路に陥ってしまい、ドツボに嵌る可能性がある。「青い鳥」を探し続けてそれが見つからず、自己肯定感を奪われるおそれがある。

僕は現実的な手法として、「できそうなこと」で「嫌いではないこと」を判断基準として職探しをすることがベターなのではないかと思っている。

「好きなこと」ばかりを探していては選択の幅が狭まってしまう。自分が好きなことができればそれに越したことはないけれども、それに固執しすぎるとこれまたドツボに嵌る危険性がある。「嫌いではないこと」というように選択肢を多くして、ゆるく考えた方が結果としてそこそこ自分に適合した仕事に就くことができると思う。

 

「できそうなこと」で「嫌いではないこと」を選ぶのは現実的ではあるけど夢や希望がない、と捉えてしまうかもしれない。

夢ややりがい、天職なんてものはまず働いてみて経験を積んだうえで見つけるべきものである。それらにこだわりすぎると、ミスマッチが生じ、短期間で離職を繰り返し、最悪の場合は働く意欲そのものを喪失することにもなりかねない。僕は転職を繰り返すことは全く悪いこととは思わないけれども、夢ややりがいばかりを追い求めた末のジョブホッパーはいかがなものか、と思う。

 

異論は多々あるだろうが、僕はやはり職選び、特に学生の就活の際には「できそうなこと」と「嫌いではないこと」を重視するやり方が良いと思っている。働きすぎないためにも、会社人間に堕しないためにも有効な方法である。

緻密な自己分析を積み重ねても自分にとって納得のできる就活の結果が得られるとは限らない。少々アバウトな方が良いこともある。就活に限らず、余裕やゆとりを失くした行動は良い結果を生まないことが多い。

視野を広くするためには、たまにはゆるく考えて行動した方がよい。