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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

仕事ができるかできないかだけで人の価値は決まらないという件

僕はたびたびこのブログで労働至上主義的な風潮に異議を唱えてきた。仕事だけが人生じゃないとも述べてきた。

それらに関連して「仕事ができる」か否かだけを人の判断基準にする風潮にも疑問を感じている。

 

確かに仕事はできた方が良いに決まっている。仕事ができれば周囲・世間の評判も良くなる。自身の待遇が良くなることにもつながる。さらには社会的地位や肩書も付いてくる。

殆どのサラリーマンは仕事ができる人との評価を得るために一生懸命に自分の職務に励んでいる。

 

以前のエントリーでも述べたが、僕は人の評価基準は多様であるべきだと考えている。たったひとつの尺度を以ってある人を判断する、そういう人だと決め付けるのは良くないと思っている。

仕事ができるかどうかは、人への評価の尺度のひとつに過ぎない。仕事ができるかどうかは絶対的な評価ではない。

 

一般的な傾向として、仕事のできる人、大きな成果を上げた人たちにはバイアスがかかった評価がされているように思う。ちょっと古い価値観ではあるが、男は仕事ができてナンボとさえ言われてきた。僕はこの価値観にどっぷりと浸った世代であるので、若い頃は仕事ができる人と評価されるために無理に無理を重ねていた。

 

仕事ができることを殊更に持ち上げると、仕事さえできれば後はどうでも良いという極論さえ浮上する。性格に問題があっても、私生活で倫理上許されないことをしても、大概のことは大目に見られるということになる。

ただ、仕事さえできれば私生活は問われないという考えが悪いとは一概に言えない。私生活までをも監視され統制され、少しでも羽目を外すと社会的立場が奪われるという社会も怖いものがある。

特に芸能人をはじめとする有名人に対する私生活への干渉やバッシングは常軌を逸している感さえある。

 

僕はある人の全人格を評価し、ランク付けすることには拒否反応を示す。

ひとりの人に対しても多角的な評価をし、良い面・優れた面もあればちょっといただけない面もあるというに至極真っ当な対処をすれば済む話だと思っている。

仕事ができるというだけで人格も秀でた優れた人間と判断するのは早計だし、仕事ができない人に対して「使えない」「役立たず」のレッテルを貼るのもおかしいことだと思う。

 

人とはそんなに単純な生き物ではない。

大した生き物ではないが、すごい生き物でもある。

人に対する畏敬の念を持っていれば、単純にひとつの尺度でその人を評価することなんてできないはずだ。