僕は常に自由でありたいと思っている。
完全なる自由など幻想に過ぎないことは重々承知している。
何物にも隷属せず、自分の頭で考え行動し、己の生き方を指図されない、という程度の自由を僕は求めている。
その僕なりの自由を得るためには「奴隷根性」を無くさなければならないと思っている。
人は誰しも奴隷なんかになりたくない。
これが一般論である。
しかしながら他方で、ある権威、例えば為政者や経営者、インテリ等に盲目的に従属することを快楽に感じる面があることは否定できない。
会社人間や社畜と呼ばれる人たちは会社に盲目的に従属し、自分の頭でモノを考えずに、会社が良しとする価値観を受け入れている。
別に会社人間や社畜ではなくとも、勤め人は大なり小なり奴隷根性を持ち、無自覚にその行動様式が規定されている。
勤め人に限らず、この世で生き生活している人たちの多くは奴隷根性を持ち合わせている。
思考停止に陥っているのにそれを自覚せず、「誰か」に決めて欲しいと願っている。
ヒーロー的な人物の登場を心待ちにしている。
自分自身は何もしたくない、けれど自分の都合の良いように物事を決めて欲しいと思っている。
道徳や常識は不変のものだと頑なに思っている。また、それらを他者に押し付けないと気が済まない。
支配者層は被支配者の持つ奴隷根性を意識させぬように様々な手立てー忠義・忠節・忠誠、常識、道徳、良識などの名を借りてーを用いてコントロールし奴隷根性を植えつけてきた。
僕たちも権威や権力に従順となり、幾ばくかのエサ(安定した生活等)を与えられ、満足している。
自由を追求し、権威や権力に抵抗する生き方を選択すると、様々な軋轢に遭遇する。為政者からの弾圧を受けずとも、普通に常識的に生きている大多数の人たちから排斥され、偏見に晒されることになる。
ただ単に自分の頭で考え、自分の意志を貫き、自分の足で歩み続けることだけで、変人奇人扱いされかねない。社会秩序を守るというお題目を掲げて、異端者を抹殺しようとする。社会秩序など仮初のものに過ぎず、時代とともに移ろう不確かなものに過ぎないのに、である。
僕は何の取柄もないごく平凡な人間である。
一生をかけても何事も為さず、この世から消え去るだけの存在である。
だからこそ、命あるうちは自由でありたい。
権威や権力に隷従などしたくない。
世間の常識や良識などに盲従したくない。
僕は生ある限り、自分の内にある「奴隷根性」を滅失させるという抵抗を続けていく。