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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

借金をすることは悪でも罪でもないという件

生きるということ 社会について考えてみる

世間では借金をするという行為自体を忌み嫌う風潮がある。

例えば有名人が借金をしていて、しかも返済が滞っていることがバレればものすごいバッシングを受ける。ワイドショー番組では頭の悪そうなレポーターに根掘り葉掘り詮索されたりする。その有名人が自己破産でもしようものなら極悪人のような扱いを受ける。

借金をすること自体は他人にとやかく言われる筋合いのものではない。浪費やギャンブルに基づく借金はいかがなものかとは思うが、事業資金・開業資金のための借金や生活費が一時的に不足したときの借金は正当なものである。

 

以前のエントリーでもふれたが、金融機関からの借金と友人・知人や親族からの借金は一緒くたにして考えてはいけない。

金融機関からの借金は消費貸借契約に基づく商行為、ビジネスである。金融機関は借り手から利息を取り、借り手の属性をあれやこれや審査してカネを貸し出している。借り手が返済できなくなれば、当然に金融機関もリスクを取ってしかるべきものである。「借りたものは必ず返す」という道徳を持ち出しても意味はない。借り手が返済できなくなる可能性があるということを織り込み済みなのだから、「契約」に基づいて対処するしかないのである。

一方、友人・知人からの借金は貸し手の「好意」や「善意」、「信頼」によるものが多い。であるがゆえに、何としてでも返済すべき性質を持つ借金である。返済を怠ると貸し手との信頼関係が壊れてしまい、以後の借り手の生活に多大な支障が生ずるからである。

よく金融機関への返済をするために友人・知人から借金して穴埋めすることがあるがこれは絶対にしてはならない行為である。逆に友人・知人の借金の穴埋めのために金融機関から借りるのはありである。

金融機関からの借金を踏み倒しても金融機関の「信用」を失うだけであるが、友人・知人の借金を踏み倒せば信頼関係を損なってしまう。どちらが大切かは言うまでもない。

 

僕は借金はなるべくならしない方が良いし、もし借金をしたならば誠実に返済しなければならないと思っている。借金をすることやそれを踏み倒すことを推奨しているわけではない。

しかし、人は生きていくうえで予期せぬ出来事に遭遇するものだ。勤めている会社が倒産したり業績悪化で給料が減ったりするし自営していて売り上げが落ちることもある。病気をして働けなくなることもある。そういった不測の事態に陥ったときに借金をしたり、借金が返せなくなることも往々にしてある。

そういったときに命を削ったりしてまでも借金を返すことはない。友人に借りているのなら待ってもらい、金融機関の借金ならば法的手続き、つまり自己破産や個人再生という手段を用いるのも仕方がない。

 

仮に自己破産や個人再生をしても、5年から10年経てばローンを組むことができるようになる。クレジット会社や消費者金融は5年、銀行系は10年でローンが可能になる。クレジット会社や消費者金融会社が加盟する信用情報機関では5年、銀行系のそれは10年で自己破産等の情報が消えるからである。自己破産をすればその後一生ローンが組めないというのは嘘である。

 

僕は借金が原因で自殺をしたり犯罪行為を犯したりしている人たちを見聞きするととても胸が痛む。確かに多大な借金を背負うと精神に大きな負荷がかかることは事実である。自己嫌悪に陥ったり、自分の将来を悲観することもある。

よくよく考えてみるとよい。銀行や大企業、東電JALなどは天文学的な額の借金を負い、返せなくなると国家からの救済を受けて、何事もなかったかのように振る舞っている。エスタブリッシュメントに連なる強者は借金を踏み倒してもよくて、弱者である庶民は借金をすれば根こそぎ持っていかれる。モラルハザードを引き起こしている連中が庶民にモラルを強要するなんてできの悪い喜劇である。

 

借金をすることは悪いことではなく、罪に値することでもない。

故あって借金をしたときには、淡々と返していき、もし返済が困難になったらあらゆる手を使う。友人・知人との信頼関係を損なわないように努め、金融機関を相手にするならばドライに対処する。

カネの持つ底なしの魔力に憑りつかれないように留意しながら。