読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

忙しさを自慢する奴は大したことない人間だという件

僕が公務員をしているとき、社会保険労務士事務所を営んでいるときに僕の周囲には「忙しい~」と年がら年中言っている人たちがいた。

公務員時代に出会った忙しい自慢をしている人たちは勝手にしなくてもいいような仕事を次から次へと作り、100時間を超える残業をして悦に入っているような人たちであった。

社労士時代に出会った忙しい人たちはなぜだか業績の良い会社の経営者は皆無であって、サラリーマンや売れていないフリーランスが多かったと記憶している。

 

何度もこのブログに書いているが、僕は「貧乏ヒマあり」状態がこのところずっと続いている。理想は「そこそこ小金があってヒマあり」なのだけれども、なかなかそういう境遇には至らない。まあ、カネがあって忙しいなんてことは死ぬほど嫌なのでビンボーヒマあり状態でもまあいいか、と諦めている。

忙しい、はー忙しい、と誰彼なく言うなんてことは末代までの恥だと思っている僕からすると忙しい自慢をする人たちが全く理解できない。

 

かくいう僕も一時期傍から見ると忙しい人に分類されるような状況だったことがある。社労士事務所を自営していてそこそこ依頼があり、専門学校の講師をし、劇団に所属して役者らしきことをしていたときのことだ。

その頃はおそらく「活動期」に入っていて、脳内がアッパー系の物質に満たされていたのだろう。今とは比べ物にならないほどに多忙だったけれども、人に忙しいなんて言ったことはなかった。自分のやっている仕事や活動の内容とか質とかが重要なのであって、物理的に時間を費やしている、つまり忙しいかどうかなんて問題ではない、と思っていたのだ。まあ、嫌みな奴だ。

 

どうしてある一群の人たちは忙しいことを自慢しそんな自分に陶酔してしまうのだろうか。

全くの個人的な見解であり憶測でしかないのだけれども、僕はこう考える。

忙しいことを他者に誇示することで「俺はこんなに忙しい立派な人間なのだぞ」と常に思っておかないと不安になる、自分の存在意義を「忙しい自分はすごい」というところに置いているだけなのである。自分が何を為したか、何を為そうとしているのかはどうでもよく、ただ忙しく立ち回ることで他者との差異化を図ろうとしている。ただいつも忙しそうにしているだけの人たちが仕事をよくやっているという評価が与えられがちな風潮が未だに残っていることが忙しい自慢の人を蔓延らせているのである。

 

世間ではいつもヒマそうにしている人に対してはネガティブな評価しかしない。いつも忙しそうにこまめに動いている人が好ましいとされる。これは勤勉至上主義的イデオロギーが影響している。常にいそいそと労働に励むような人たちが「良民」なのである。支配者層が好む人民像である、今も昔も。

 

僕の全くの独断と偏見であるが、忙しい自慢をする人はおしなべて大したことはない人だと思っている。また、忙しさを自慢することはあまり品のよろしくない行為であるとも思っている。

典型的なヒマ人である僕が言っても根拠とか重みとかは全然ないけれども。

忙しさを誇示しないこと、いつもヒマそうにすること、これらは僕の美意識である。世間からズレた生き方をしている者の矜持である。