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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

人との「違い」や「差異」にこだわりすぎるのはどうかと思う件

当たり前の話だが人それぞれに個性があり違いがある。

この社会では以前からずっと「個」の時代が来たと言われている。

また、多様化・多元化した社会にならないといけないとも言われている。

 

他者との差別化や差異化等の掛け声は聞こえはいいが色々と問題を抱え込んでいる。

他者との違いとか差異などを殊更に強調すると2つの方向に極端に行き着くことになる。

ひとつは人のわずかな違いを重箱の隅をつつくように見つけ、同調圧力を伴ってその差異を圧殺しようとする力が働くことになる。わかりやすく言えば、「みんな」との違いを殊更に論い排除するのである。均質化への志向と言ってもいい。

次に他者との差異にこだわるあまり、自分が個性的でなければならない、個性的であるべきだという強迫観念に囚われることである。

 

世間では「みんな」と違う生き方をしたり働き方をしていると放っておいてくれればよいのに「善意」の皮をかぶった介入を受けることになる。

特に会社をはじめとする組織に属していると「みんな」からの圧力はとんでもなくすさまじいものとなる。

一方で個性的な生き方を賞賛しておいて、いざ自分の目の前に「みんな」と違うことをしている人を見ると足を引っ張り「みんな」と同じようにしろと強いてくるのである。

 

多くの場合、他者との差異にこだわると自己の個性化に向かわずに同調圧力の尖兵となって「みんなと同じ」無間地獄に引きずりこむような行動に出るのである。その結果様々な差別が生まれてくることになる。

 

他者との違いにこだわり自分なりの生き方や働き方をしていると世間との軋轢を生むことがある。その原因がやはり他者との差異にこだわり同質化を強いる人たちによってもたらされることが多い。

皮肉な話である。

人との違いや差異にこだわると自分らしく生きることがむずかしくなるのである。

 

どうやら僕たちは他者との差異化を志向し、同時に均質化を志向するという矛盾した性質を持っているらしい。自分は人とは違うことをしたいし個性的になりたいのだけれども、他者がそれをすることは許せないのだろう。これは利己主義であり、個人主義ではない。この性向は本質的なものなのか、あるいは文化的歴史的に熟成されてきたものなのか、はっきりしたことは僕には分からない。おそらく、僕の全くの個人的な意見だが、本質的なものではなく後天的に習得した性向であると思う。

 

僕はこの国の人たちは本来は個人主義的傾向を持っていて集団主義に根っから馴染んでいるとは思えない。

この国にいつの間にか根付いている「世間」の存在が「みんなと同じ」ことを「みんな」が強いる同調圧力の源であると思っている。

この「世間」というものは誠に厄介なもので、少々意識したくらいでは世間の呪縛からは逃れられない。僕たちは善悪を超えて、この世間と折り合いをつけながら生きていくしかない。

 

僕のあくまでも個人的な感覚なのだけれども、これまで述べてきたことは若い世代では薄れているかもしれない。

他者との違いや差異に「こだわる」のではなく、それらが当たり前で自然のものだと捉えている人たちが増えているような気がする。

これはなかなかに良い傾向である。

もしかすると「世間」の在り方が「個」を尊ぶようなものに変わるかもしれない。