希望の舎―再生編ー

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ダメ社員=ダメ人間ではない件〈再掲〉

サラリーマンにとってダメ社員のレッテルを貼られることはとてもつらいことである。人としての価値を貶められるように感じることもある。

しかし、ある会社・組織での評価なんて所詮はローカルなものに過ぎないのだ。会社ごときに人としての価値なんか決める資格はない。

 

初出 2016/3/17

 

多くの人たちは自分が職場で評価されなかったり「できない人」扱いされると、自分自身の人としての価値を貶められたと感じてしまう。

仕事のできない奴は人として最低だとされてしまうのである。仕事での評価=人としての価値だと錯覚してしまうのだ。新卒の就活や転職活動で落とされ続けたら、人格否定されているとついつい感じてしまうのも同様のことである。

 

仕事をすること働くことは人生の一部に過ぎない。確かに自分のなした仕事が世間から高い評価を受け、「人格者」とみなされるととても嬉しい。仕事に対する高いモチベーションとなりうる。しかし、人の人生の何たるかは単純に割り切れるものではない。

 

特にひとつの会社における評価など所詮はその会社におけるローカル基準によったものでしかない。ある会社で優秀でできる人間として評価されても、他の会社あるいは会社以外の領域で優秀だとは限らない。

有名企業の管理職や役員だからといってその人を優秀だとか人格者だと決め付けるのは愚かな行為である。

 

人の価値は仕事ができるかどうかだけで決まるものではない。おそらく多くの人たちはこのことを理解はしていても現実的には仕事ができるか否か、あるいはどこに勤めているかといった判断基準をもって他者を評価している。労働至上主義のイデオロギーが染み付いてしまっているのである。

 

できるサラリーマンなんて所詮は優秀な「労働者」であるに過ぎない。会社により多くの搾取をされている存在に過ぎない。言葉を変えてやれ「生産性が高い」だの「高付加価値をもたらす」だの賞賛されても所詮は会社を経営者を株主を肥え太らせるために飼い慣らされている労働者に過ぎないのだ。

 

ひとつの会社でダメ社員のレッテルを貼られても気に病むことはない。前述のとおり、その会社内だけで通用する人事考課によって評価されただけのローカルなものに過ぎないからだ。

よくバカな上司は「うちの会社で通用しない奴はどこにいっても通用しない」とか逆に「うちで通用すればどこでもやっていける」といった類の妄言を吐くが、全く根拠のない噓である。

たかだかひとつの会社で通用するかしないかでその人の価値を決め付ける行為は無意味であり愚行である。

 

会社での評価ばかりを気にしてしまうと、その人の持つ本来の力を喪失してしまうことになる。

確かに会社での評価は自分の待遇に直結するので、全く無視するわけにもいかないけれども、ある面から見れば自分はそのように評価されるのだな、といった程度のものとして受け流しておけば良い。そもそも会社の人事考課なんて悪い意味で「いいがけん」なものである。

会社による評価に一喜一憂して束縛されるなんてばかばかしいと覚めた目で自分を見つめることも必要である。

 

ダメ社員=ダメ人間ではないし、優秀な社員=立派な人間ではない。

あまりにも会社での評価、仕事ができるかどうかにとらわれすぎていると、人として大切なものを見失うことになる。 

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