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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

生活困窮者に「仕事を選ばずに働け」「早く自立しろ」と強いるのは暴力であるという件

僕は自立のための就労支援は必要であり、その理念は正しいと思っている。働ける人は働いた方がよい。

問題はそのやり方である。

生活保護の打ち切りを重視するあまりに劣悪な労働条件や意に反した仕事でも無理に働かせることはあってはならない。

 

そもそも生活保護を受けている人たちは何らかの理由があって働けないのである。杓子定規に年齢が若いから、元気そうだからといったことで就労を強いてはならない。無理やり働かせてもこじらせるだけである。一旦生活保護から抜けてもまた戻ってくるだけである。

 

確かに就労可能な年齢の人たちが生活保護を受給するとなかなか抜け出せないのは事実である。それには様々な理由がある。本人の怠惰のみにその理由を帰するのは誤っている。劣悪な労働環境、例えば低賃金、長時間労働、仕事の内容などにも原因がある。また世間の精神疾患に対する偏見にも問題がある。この社会に存在する歪み、矛盾などから目を背けて、すべてを本人の資質や態度に収斂することは間違っている。何の解決にもならない。

 

生活保護を受給する人たち、特に単身者は自分の居場所がないためにこじらせているケースが多いように思う。

その居場所作りの一環として、有償のボランティアに近い仕事の場を作り、社会とのつながりをもたせるような施策が求められる。

心身にそれほど負担のかからない仕事を創るのである。週に2日でも3日でもよい。一日の労働時間が4,5時間程度のものでよい。小遣いになる程度の額でよい。その貰った労賃は生活保護費から控除はしない。福祉的就労に近いものではあるがそれに限定せずにもっと範囲を広げる。ボランティアと労働の中間的な仕事である。ひとりでやる仕事よりもチームでやるような仕事が望ましい。

そのような働き方によって慣れてもらい、社会とのつながりを得てもらい、将来的に就労に結びつくように誘うのである。ただし強制であってはならない。そのボランティア的な仕事に就かなければ生活保護を打ち切る、といったような強権的な手法は取ってはならない。あくまで本人の自由意志に基づくものでなければならない。

生活保護を受けている人たちに自活・自立を必要以上に強いるのは間違っている。いきなりフルに仕事をしろ、というのは無茶である。身体が弱っている人にフルマラソンを走れというようなものである。

 

ここまで書いてきた内容に対して、「甘やかすな」「人は働くべきものだ」と誹謗する人もいるだろう。

弱っている人たちを甘やかすのが悪いことなのだろうか。

殊更に他者に厳しさを突きつける社会が本当に生きやすい社会なのか。寛容な社会なのか。

人は生きているだけでいい。無条件の「生存の肯定」を認めるべきである。

人は働くべきである、社会に役立つ存在であるべきである、というのはただのイデオロギーである。勤勉至上主義、労働至上主義といった近代以降に形成されたイデオロギーである。その単なるイデオロギーに盲目的に従っているだけである。

 

自分の苦しさの捌け口を弱っている人たちに向けるような行為は愚かである。

市井に生きる人たちが少しばかりの優しい眼差しを困っている人たちに向けることができれば、世の中は変わるはずである。