僕が働きだした頃はバブルのイケイケ時代だったので、長時間労働やサービス残業、有給休暇が取れないといったことはさほど大きな社会問題として扱われていなかった。
僕が公務員を辞めて社労士事務所を始めた90年代の半ばごろから労働時間の短縮や有給休暇の取得率向上が唱えられるようになった。当時も今も我が国の労働者の有給休暇の取得率は50%を切る低水準のままである。
僕が勤めていた役所は労働組合の力が強くて、当然に有給休暇を消化することを奨励していた。確かに有給休暇をすべて消化する職員もいた。どんな人たちかというと出世を諦めて「遅れず・働かず」といった仕事ぶりの職員だった。当時の僕はそのような職員たちに対して、ろくに働きもせずに休みばかり取りやがって、と冷ややかな目で見ていた。
職場単位では有給休暇の消化を奨励されていたが、僕は常に未消化の有給休暇が残り、なかなか取ることができなかった。それは「休む」ことへの罪悪感があったからだ。自分の仕事が休むことによって滞ることがいやだったたし、適当に働いて休みをよく取るベテラン職員に対する反感もあってできるだけ有給休暇を取らないようにしていた。
今から思えば、僕が反感を抱いていたような職員たちのほうが労働者として正しい働き方だったのだと理解できる。きちんと権利を行使する、仕事を私生活に優先させない、といった行動様式は正しいものである。
勤労意欲が薄いくせに人並みに出世の意欲、上昇志向があった僕は社畜の予備軍だったのである。たいした理由もなく有給休暇を取ることは「怠け者」であり「落ちこぼれ」だと思い込んでいたのだ。
有給休暇は連綿と続く労働運動の成果であって「強い」権利である。
ノーワーク・ノーペイの原則を覆す画期的な権利なのである。働くべき日に働かずにその日の分の賃金を得ることが出来る、ということはとんでもないことであって、それだけに有給休暇という権利を軽く見ている現在の風潮はどうしようもない。
有給休暇という権利の行使をためらうメンタリティは経営側にとっては喜ばしいことである。短期的な視点からは休まずに働く労働者が多いほど会社の利益になる。
有給休暇を取りづらい会社や職場は未だに多数存在する。これは会社や上司のマネジメントの稚拙さによるものである。一人や二人が休んだだけで仕事が回らなくなる職場はマネジメントがなっていないだけで、労働者に責任はない。有給休暇を取らせない、取りづらい雰囲気を作っているということは労働基準法をないがしろにしている以前の問題であって、そんな会社は即刻市場から退場すべきである。
有給休暇を抵抗なく取得できるということはまともな会社であるという最低条件である。
また、有給休暇をためらいなく、あっさりと取れるメンタリティを持つことは社畜・会社人間から脱する最初の一歩である。