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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

有名企業に採用されたからといって自分が優秀だと勘違いしてはダメだという件

初対面の人と言葉をかわすときに、僕たちは大抵相手の勤めている会社を聞いてしまう。相手の勤め先をランク付けして、そのランクによって相手の値踏みをするのだ。そうすると相手の勤め先が上場企業であったり、有名企業だったり、官公庁だったりするとランクは上でその相手のランクも自然と上がるわけである。

いまどき「そんな奴はおらんでぇ~」と言う人もいるだろう。

いやいや、沢山いてはるんですよ。勤め先で相手を判断する輩が。

僕は何度もこの手の値踏みをされてきた経験をもっている。

 

よくよく考えてみると勤め先である人を判断することは非合理的でおかしいことである。有名企業の社員はたまたま採用試験を通って雇われただけの労働者に過ぎない。ある有名会社のローカル・ルールに則った採用基準にたまたま合致して雇われただけだ。その人が絶対的に優秀だったわけではない。

そもそも採用活動は優秀な人を採用するとは限らない。大抵は自分の会社に合うかどうかで決めている。もっと言えば、「使いやすい人」「従順な人」を優先して採用しているのである。人事採用者の常識の範囲に収まるような無難な人を採用しているのである。

草創期のリクルートのような一部のベンチャー企業は「型破り」な人を積極的に採用するという都市伝説的な話はあるが、それはあくまでレアケースである。

 

有名企業に勤める人たちは優秀な人である、という言説の根拠として有名企業出身の成功した経営者やフリーランスを輩出している事実があげられる。それはたまたま本当にその人が優秀だっただけで、それらの優秀な人たちは有名企業から脱出している事実に着目しなければならない。

単に有名企業に在籍している(ぶらさがっている)というだけでその人が優秀だという証明にはならない。

 

僕が社労士をしているときには多くの有名企業のサラリーマンと出会ってきた。残念ながら印象に残っている人はほとんどいない。ああ、この人はすごいな、面白いな、と感じた人は数えるほどだ。

僕の限られた経験を基に一般化した話は信頼性に乏しいことは重々承知しているが、有名な会社に勤めている人たちのほとんどは大したことはない、という暴論を吐いておこう。大したことのない人間である僕がそう思うのだから本当に大したことはない。まあ、僕が人を見る目がない、という可能性も多々あるけれども。

 

なぜ僕がこのエントリーのテーマを選んで、あーだこーだ書いているかというと僕もかつては勘違いをしていたからだ。

僕はある政令指定都市の行政職として採用され、働いていた経験がある。たかだか一地方都市の下級役人になっただけで、自分は選ばれた人間だと勘違いしていたことがあるのだ。確かに競争率は高く、採用された同期は有名大学出身者ばかりであった。当時はそれらの事実をもってして自分は大した奴だと思い違いをしていた。今にして思えば、上司も先輩も同期生もほとんどが小心者の小市民の小役人ばかりであった。僕もそのうちの一人であった。

 

有名企業や大きな役所に採用されたからといって、ただそれだけの事実をもって自分が人より優れた人間だと勘違いしてはならない。他者を見下すなんて以ての外である。

何をなそうとしたか、真摯であるか、自分を高めようとしたか、が大切なことであって、どのような組織に属したかや肩書・社会的地位なぞは関係ないのである。

と、ありきたりの「常識的な」オチになってしまったが、僕はそう確信している。