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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

お笑い芸人のレベルが昔よりははるかに高くなっている件

よもやま話をしてみる 歴史に関連したことについて考えてみる

僕は子どもの頃からお笑いが好きである。ずっと吉本新喜劇や漫才番組を見続けてきて、お笑いに対する見る目が肥えていると自負している。

昨今、バラエティ番組がつまらなくなったとか、芸人のレベルが下がっているとかの話が聞かれるが前者のバラエティ番組が面白くなくなっているとは感じるが芸人のレベルが下がったなんて思わない。

バラエティがつまらなくなっているのはテレビ局に問題がある。くだらない自主規制や企画の貧弱さはテレビ局製作者の劣化によるものである。それと揚げ足取りに血眼になっている視聴者の責任もある。

 

よく年輩者が昔のお笑いは面白かったと言うが、そんなことはない。確かにやすし・きよしやダイマル・ラケット、いとし・こいしといったトップクラスの芸人の漫才は今観ても面白い。しかしその他の芸人の漫才やコントは大したことがない。今の若手・中堅の芸人のほうがしっかりとしたネタをしている。芸人全体のレベルが昔に比べて格段に上がっている。メディアに露出が少ない無名の芸人でもかなりレベルの高いパフォーマンスをしている。

 

かつては芸人になるには師匠に弟子入りするしか方法がなかった。かなり入り口が狭かったのである。今はお笑いの養成学校が複数あって芸人になる経路が開かれている。芸人の数が劇的に増えて競争が激しくなり、それとともに質が上がっている。

それと「世襲」ではないことが質が上がっている大きな要因である。落語の世界でたまに親子間で芸名の継承が見られるが、基本的には実力の世界である。

 

ではなぜお笑いに参入する人たちが増えてきたのか。いくら門戸を開いても希望者がいなければ意味はない。

一言でいえばお笑い芸人のステータスが格段に上がったからである。一旦売れれば莫大なカネが手にでき、高い社会的地位も手にできる。

漫才やコントや落語は昔は雑芸扱いされ、芸人は卑賎視される存在だった。被差別民だったのである。社会のアウトローであった。

経済的な成功も見込めず、社会的地位が低い職業には人は集まらない。

芸人のステータスが上がることによって才能に恵まれた「タレント」が多く集まるようになり、パフォーマンスのレベルも高くなったのである。

 

このお笑い芸人のケースからみると、職業の貴賤は時代ともに移り変わることが分かる。絶対的に貴い職業、卑しい職業なんてなくて、その時代や社会的な状況によって変化するものに過ぎない。

 

お笑い芸人のパフォーマンスの質が上がり、社会的地位の向上や経済的な成功は喜ばしいことである。昔は卑賎視されていた仕事がいまやセレブなのである。

今は下に見られている仕事が近い将来に貴ばれる仕事に変化する可能性がある、ということはとても勇気づけられることである。

時にはこんな堅苦しいことを考えながら、僕はお笑い芸人の「芸」を楽しんでいる。