希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

カネ至上主義にも良い面があるという件

「世の中何でもかんでもカネだ」と嘆く人は多い。カネで買えないものはないと放言した人もいた。

資本主義体制では何だかんだ言ってもカネを多く稼いだ者が偉いのである。カネの多寡で人の価値を決めるのである。ある意味このことはフェアなのかもしれない。氏素性や育ちや家柄等の属性で決めるよりも健全である。

 

僕は悲しいほどにカネを稼ぐ能力に欠けている。フリーランスという働き方を長年していたが、成功には至らなかった。サラリーマンには絶望的に向いていない。このように考えていくと僕は人生が「詰んでいる」と周囲からはみなされるかもしれない。

しかしながら、僕は露ほどにもそうは思っていない。確かに大金持ちにはなれないかもしれないが、日々の生活を送るための糧を得る手立てはいくらでもある。

それは何でもかんでもカネになるこの世の中ではカネを稼ぐ方法が多様化しているので、別に会社に飼われなくてもいいし、「大きく」起業しなくてもいい、つまり生活に必要なカネならば何とかなるということだ。

一見アウトサイダー的な生き方をしていても何らかの方法でカネを稼ぐことができるのである。

 

ネットを媒介として小さなビジネスをすることができるようになっている。自分の持つ知識やスキルを活かして小さくビジネスをすることも可能だ。塩見直紀さんの提唱する「半農半X」的な働き方でもいいし、伊藤洋志さんが言う「ナリワイ」でもいい。アフィリエイトでもせどりでもいい。ネットオークションでもいい。確かにこれらの稼ぎ方は世間でいう「真っ当」な稼ぎ方ではないかもしれない。会社に心身とも捕らわれたサラリーマンからすれば噴飯ものかもしれない。

汗水垂らして働いて稼いだカネは尊く、小手先で得たカネは泡銭で汚いという考え方は労働至上主義に毒された者の一方的で偏った見方に過ぎない。無理をせずに自分の好きなようにカネを得る手立てがある、ということを心の片隅に意識していればいざという時に力になる。

 

フリーターやニートの人たち、転職ができない中高年の人たちは発想の転換をしてみてもよい。ひとつの会社に正社員として勤め、すべてをその給料で賄うことに執着していては詰んでくる。正社員として働くことが薔薇色の未来を約している訳ではない。派遣やパートで働きながらナリワイ的な仕事もする。あるいは複数のナリワイ的な仕事を持つ。稼ぎ方に働き方に「正しい」ものなんてない。反社会的な違法行為でなければ何でもカネにしてもいいのである。発達した資本主義体制の世の中、何でもカネになる世の中では「何でもアリ」なのである。このカネを得る手立ては何でもアリということを利用しない手はない。生活レベルを下げなければないとか社会的地位が失われて世間体が悪いといった副作用があるが、無駄なプライドを捨てればどうってことはない。

 

カネは楽しく儲けて、楽しく使うものである、という考え方が異端視されなくなれば、とても生きやすい世の中になる。

所詮はカネ儲け、肩肘張ることはない。