希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

中小零細企業では結構解雇が行われている件

会社がなかなか正社員として雇い入れない理由は一旦雇ってしまうと解雇が難しいからだ、と言われている。

労働基準法や労働契約法においては「合理的な」理由のない解雇は違法であると規定されているに過ぎない。ただ、やや抽象的な表現となっており、実務上は個々のケースで判断している。労働者の能力不足・適性がないという普通解雇、非行行為等の懲戒解雇は就業規則での具体的な規定によって処理されている。これらの解雇は会社が判断するので、時として労働者側の主張と食い違う場合もあり、その際は労使の交渉や裁判によって解決を図ることになる。

会社の業績不振による整理解雇は判例が蓄積されており、「整理解雇の四原則」と呼ばれる一定のルールが確立されている。この基準が会社にとっては厳しく感じられるものであり、解雇がしにくいという風説はこの判例によるところが大きいと思われる。

 

僕が社会保険労務士をしていたときにも、結構な頻度で解雇に関する相談や実務を請け負ったことがある。大抵は会社の望むレベルにない社員(勤務成績不良)の解雇についてであったが、正直なところ社長の好き嫌いによるものもあったことは否めない。

僕がよく採った手法は、勤務不良の具体的な証拠を確保したうえで解雇予告手当を支払って即日解雇するといったものであった。解雇するためには30日前以上の日に解雇する日を確定し、解雇の予告をしなければならない。即日解雇するためには解雇予告手当、即ち平均賃金30日分以上に相当する手当を支払う必要がある。大抵の会社は当該社員には働いてほしくないので、この解雇予告手当を支払って即日解雇する方法を選択していた。

解雇予告なり解雇予告手当を支払うと労働基準法上の解雇規定をクリアすることになる。合理的な解雇かどうかは事後的なものになる。

僕は社員の解雇を依頼してきた社長に対して、「もし社員が訴えたとしたら100%勝てるとは限りません。ただ、裁判に訴えるケースは稀です」と答え、また「ユニオンに加入して団体交渉を求めてきたら、堂々と応じてください」とも答えていた。

僕が対応した事例では、解雇された社員が個別にクレームをつけたことはあったが、裁判や団交に至ったことはなかった。

当時と現在とでは状況が異なるとしても、大概は解雇された人たちは元の会社と争うことをせずに転職活動に専念する道を選んでいたのである。

 

僕が関わった事例では、会社側の一方的な不当な解雇というものがなかったので大きなトラブルにならなかった。社員の側に何らかの問題があるケースが殆どだったのだ。

正直なところ今にして思えば、この程度で解雇かぁ、と感じたことがあったのも事実である。

このように労働者の適性不足・勤務成績不良等による解雇は日常茶飯事であったというのが僕の肌感覚である。

なかなか解雇ができないというのは大企業や中堅企業での整理解雇においての話であって、それらのケースばかりがメディア等で流されるので、半ば常識化しているのである。

 

整理解雇は労働者に帰責事由はなく、あくまで会社都合によるものなのである程度の厳しい基準が設けられるのは仕方がない。ただ、判例が確立された当時と現在では社会状況や経済状況が変わってきているので、例えば金銭解決を認めたり先に非正規雇用を解雇しなくてもよくするとか新規採用のストップまでをも要さないなど少し基準を緩くした方が良いのでは、と個人的には思っている。

 

僕は解雇規制の全面的な緩和はどうかと思う立場である。

ただ、労働者側に責のある場合、明らかな適性不足・スキル不足、そこまでいかなくても会社に適応できずに業務に支障があるときなどは解雇してもやむを得ないと思っている。そんなケースでは会社にとっても労働者にとっても不幸だからだ。ある会社で適性不足でも別の会社では仕事をこなせるという場合も十分に考えられる。会社にとっても問題ありの社員を抱え込むと業績に影響するし他の社員の士気にも影響する。

 

解雇自体は「悪」でも何でもない。

事業を進めていくうえで必要不可欠なものである。

サヨクや自称リベラリストたちの実態や現実から乖離した上から目線の言説などに惑わされてはならない。

解雇を必要以上に罪悪視し、解雇規制を強めるとまわりまわって労働者の首を絞めることになる。