希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

お上に対峙するには情報公開がとても大切なものである件

現在表向きは行政や上場企業の情報公開は当然だということになっている。そのための法制度が構築され、実際に国家や地方自治体に対する情報公開請求はなされている。ただ、敵もさるもので情報の重要な箇所を個人情報保護を大義名分にして黒塗りにして公開している。資料によってはほぼすべてが黒塗りにされていることもある。これでは情報公開制度は空手形同然になってしまう。

 

本音としては役所にしても会社にしても情報公開なぞしたくないのだ。特に役所にはこの傾向が強い。国家権力を担う官僚からすれば、無知蒙昧な大衆に情報を開示すればろくなことにはならないと確信している。地方自治体についても同様で、市民に情報を開示したら仕事がやりにくくなると本気で未だに思っている。官僚にしても自治体の職員にしても、情報の独占・隠蔽によって自らの優位性を保ちたいと考えている。

 

元公務員である僕の肌感覚としても上記のことはいえる。

公務員時代のあるエピソードを紹介しよう。

ある日、職場の大先輩から呑みに誘われた。あるバーに行ったのだか、そこは僕が勤めていた役所の職員の溜まり場であった。

しばらくしてから客同士で言い合いが始まった。どちらも市の職員である。

こんな感じで。

A「こいつが情報公開条例なんか作ったから仕事がやりにくくなってしゃー  ないわ」

B「好きで作ったんとちゃうわ。上から作れて言われたからしゃーないやろ」

A「適当にしといたら良かったんや。市民に情報公開なんかする必要はない。あいつらみんなアホやから、俺らだけでやっといたらええんや」

・・とまあ、細かいところは言葉の違いがあるが、大方こんな感じのやりとりがあった。このAさんは管理職に、しかも花形の部署での管理職に出世していた仕事ができるとされていた人であった。

所詮はこの程度の低い意識を持った職員が行政の中枢を担っていたことに今となっては背筋が凍る。酒の席で本音が出たのだろう。たかだか市の職員がこのような傲慢な考えを持っていたのである。

 

行政機関が情報公開を忌み嫌うのは、その傲慢な姿勢によるものだけではなく、情報を公開することを心底怖れているのだ。情報を公開することによって自分たちの優位性・特権を犯されると考えているのである。

民を統治するためのキモは、民に情報を与えずに為政者がそれを独占することにある。北朝鮮支那、それ以外の独裁国家をみてもそれは明白である。

 

逆からみれば、すなわち統治される側からみれば為政者が独占している情報を奪い取ることで、権力と対峙し抵抗することが可能となる。

情報公開制度は民主政の原則だとか人権だとかそんな程度のものではなく、庶民のお上に対峙する武器として大いに意義があるものなのである。

事あるごとに為政者は情報公開をないがしろにしようとあれこれ姑息な手を使う。

僕たちは権力からのコントロールから逃れるためにも、情報公開制度そのものを、その実効性を死守しなければならない。