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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

弱者の救済と資本主義体制とは相容れない件

資本主義体制下では持たざる者と持てる者との格差は拡大する。弱肉強食、優勝劣敗が資本主義に内在しているためである。

ただ、格差を放置していると社会不安を招く。かつては社会主義共産主義革命が起こる可能性があった。現行の体制が崩壊しては元も子もない、とエスタブリッシュメントは当然に考える。

そこで社会保障制度を導入し、持たざる者たちのガス抜きを図るわけである。社会保険福祉の整備は国民の幸福を思ってのことではない。あくまで現体制の維持を意図してのものである。

エスタブリッシュメントは本音としては社会保障社会福祉にカネを使いたくない。それらから生じる利権は貪るが、国民の生活がどうなろうと関係ない、自分たちさえ栄えれば良しと思っている。

 

新自由主義市場原理主義では弱者の救済はできない。いや、資本主義そのものが弱者救済とは相容れない代物である。

社会保障制度や社会福祉制度は資本主義体制を維持するために、社会主義社会民主主義の政策を一部取り入れたものである。革命が起きるよりはマシだと考えて取り入れたものである。

 

実は弱者救済や格差の是正を図るにはファシズム体制を導入することが手っ取り早いというジレンマがある。

戦前のこの国においても既成政党の腐敗、官僚の腐敗、著しい経済格差が問題となっていた。その解決のためには反資本主義的な政策が必要だとされていた。国家社会主義ファシズムが有効な政治思想だと考えられていたのだ。北一輝の思想に影響を受けた青年将校が起こした2・26事件はその典型である。

ファシズムは「ファッショ」、つまり国民を束ね、共同体の力を強くしていこうとする思想である。ファシズムでは社会的弱者は共同体の成員であり、彼らは救わなければならないと考える。生活が破綻する者がいれば共同体の力が弱まるからである。

ファシズムは弱者救済という一点のみに着目すれば、有効な政治思想である。しかし、その副作用があまりにも多く現れるために現実的ではない。

「個」は「全体」に奉仕しなければならないとする思想は個人主義とは相容れない。強い共同体志向は排外主義を引き起こす。「自由」が極度に制限されるおそれがある。

 

また、国家による弱者の救済を実現するためには、国家権力の個人への介入を認めなければならない。いわゆる福祉国家は国家権力の介入の度合いが大きい。

 

国家又は自治体による弱者の救済を拡充すれば公権力が個人の生活・個人の自由に介入し、公権力の肥大化を招く。公権力からの自由を重視するか、弱者の救済を重視するか、ジレンマが生じてくる。

 

公権力に頼らない新しいタイプの自助・共助をベースにしたシステムが必要となるのかもしれない。そのキーワードは「脱資本主義」であると僕は思っている。脱経済成長と言ってもよい。

今のまま、新自由主義や経済成長至上主義が続くと、安心して暮らせる社会には程遠い未来が待っている。