読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

活躍できなくても安心して暮らせる社会が良いという件〈再掲〉

誰もが生涯活躍できる社会・・結構なことである。

でも、この「活躍」というのがくせものである。

人は無条件の生存が許される存在である。活躍するとか社会に役立つとかに関係なく。

 

初出 2015/11/2

 

「一億総活躍社会」。

何と空疎で庶民を馬鹿にしたスローガンだろう。

まず「活躍」するとは何を意味するのかが不明だ。

僕の推論だが、安倍ちゃんの信念もどきを鑑みると国家や会社に尽くして、文句を言わずに死ぬまで働けと言いたいのだろう。

死ぬほど働いて会社の利益を出して経済成長をさせて、襤褸切れのようになって死ねと言いたいに違いない。間違っても社会保障の世話になることなんぞ考えてはいけない。

権力に抵抗をしようものなら、国民として認めない、と言えば言いすぎだろうか。

 

僕たちは生きているだけで十分なのである。

無条件に生存が肯定されるべきなのである。

 

活躍するかどうかなんて二の次で良い。仮に活躍できない、活躍していない人がいたとしても、その人たちを排除し差別してはならない。

国家や会社に貢献したかというだけで人を選別してはならない。

 

人はコミュニティの中で生きていれば、何らかの役割を負い、果たすことになる。

それだけで十分である。

 

また、働けない人たちや引きこもりの人たちは一見「活躍」していないように他人の目に映る。

無為の人生を送っているように思い込んでしまう。当事者からしても他者からしても。

表立った活躍なんかしていなくても、それらの人たちの存在を認める寛容さや余裕がある社会が安心して暮らせる社会である。生きやすい社会である。

 

いつの頃からだろう。

経済的な物差しで人の価値を決め付けるようになったのは。

その物差しが絶対的なものだと多くの人たちが錯覚するようになったのは。

青臭い理想論かもしれないが、人はいかに生きたかが大切であり、業績や名声などうたかたの幻に過ぎないのではないかと、僕は思う。

 

人々が何かに急き立てられるようにして「活躍」を強いられる社会は不健全でおかしな社会である。

死ぬまで馬車馬のように働くなんて、僕は御免蒙りたい。

僕たちは国家や会社の奴隷ではない。

たとえ少しばかりの物質的な豊かさを与えられても、僕は国家や会社に隷属したくない。常に抵抗の精神を持ち合わせていたい。

 

経済的な豊かさはなくても、自分がどのような境遇に陥っても、安心して暮らせる社会であることを強く望んでいる。