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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「レール社会」から外れても生きていける社会を切望する件〈再掲〉

こうあるべきだ、という生き方を決められた社会は息苦しいし面白くない。

世間の常識らしきものに縛られることはない。

アウトサイダー的に生きている人たちが活き活きと過ごせる社会が健全である。

 

初出 2015/10/29

 

この国は未だに強固な「レール社会」である。

一旦真っ当とされる社会のレールから外れるとリカバリーが難しい社会である。単純化して言うと、ストレートで学校を卒業して、ストレートに就職して正社員となるコースがまともであるとされている。

このような決まりきったコースを嫌った人たちは社会から疎外され、人一倍の苦労をしなければならない。自分の特技を活かせる人や自分で仕事を創り出せるような人ならまだいい。そのような人たちは一握りに過ぎない。多くの人たちは不安定さ、劣悪な待遇で仕事をすることを余儀なくされる。僕個人の意見としては「安定」なんて幻想に過ぎず、「不安定」さも慣れればどうってことない、と思っている。しかし、これは少数派の捻くれた天邪鬼の偏った意見である。やはり、生活は安定していた方が良いに決まっている。

 

レール社会は、学校教育、集団生活に馴染めない人たちにとっては地獄である。もし、不登校になり拗らせてしまうと長期の引きこもりになるおそれがある。会社生活、つまりサラリーマン生活に不適応を起こしても社会から隔絶される危険性を孕んでいる。

不登校や出社拒否・無職の長期化に至ると世間からは役立たずのレッテルを貼られてしまう。ただレールから一旦外れただけなのに、である。

僕は不登校、社会に出てからの引きこもり、無職の経験がある。そのときにはかなり外部からのプレッシャーを感じたことを覚えている。少しだけ何もしない無為の時を過ごさせてくれ、とは口が裂けても言えない状況だった。無職、引きこもりのときは職を探すポーズを取り続けざるを得なかった。この社会、世間の不寛容さや余裕のなさを呪ったものだ。

 

僕の経験からはっきりと言える。

一見無為と思われる時を過ごすことは意義があると。自分自身を深く掘ることができたからだ。村上春樹さんの言うところの「井戸を深く掘る」行為が人生において大切なことだと身に染みて理解できるからだ。

 

たかだか数年程度レールから外れて回り道してもどうってことはないはずだ。馬車馬のように働き続けることだけが人生ではない。国家や会社に尽くすことだけが尊い行為だとは僕には思えない。自分なりの人生を堂々と歩むことが大切なのではないだろうか。たとえ、時として社会の決められたレールから外れることがあったとしても。

 

真っ当とされる「社会のレール」なんて世間の常識と呼ばれる物のひとつが形となったものに過ぎない。絶対的に正しいものではない。

 

僕はレールから外れた場所で堂々と生きていこうと思っている。

時には世間と折り合い、時には世間に反発しながらも。