希望の舎―再生編ー

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多額の借金を完済したことを賞賛する風潮に異議申立をする件〈再掲〉

その昔、英国では返済ができない債務者を監獄にぶち込んでいた。借金を返済できないことが「罪」だったのだ。

単なるカネの貸し借りに過ぎない借金を「悪」だとしたり、返済できないことを「道徳的」に責めるなんておかしいことだ。多額の借金を完済することは単なる債務の履行であって、それを殊更に賞賛するのはおかしい。

 

初出 2015/10/28

 

著名人や有名人がマスコミに晒されるトラブルの一つに借金問題がある。

借金の返済が滞っていればバッシングされ、完済あるいはきちんと払っていれば美談になる。

このことは有名人に限らず一般の人たちの間でも見られる現象である。

 

僕はこの借金に関するバッシングや美談仕立てのストーリーに強い違和感を持っている。

以前のエントリーにも書いたが、金融機関からの借金は消費貸借契約に基づく「契約」であり、単なるビジネス行為に過ぎない。一方、友人や親戚からの借金は好意や善意によるものだから是が非でも返さなければならない。

 

この国では「借りたカネは必ず返す」という「道徳」意識が根強く存在している。世間ではそれが常識となっている。イデオロギーに近いとさえ言える。

さらに言えば借金という行為そのものが「悪」だとみなされることさえある。確かにギャンブルや遊興費等の浪費による借金はそうとも言えようが、生活苦のための借金やビジネスでの借金等のやむを得ない借金も一緒くたにされている。

 

借金を完済した人たちへの良い印象、美談仕立ての話は、借金という「悪」の行為に手を染めたけれども、完済という「善行」でチャラにしたという潜在意識が顕れたものなのかもしれない。

 

そもそも、多くのケースの借金は「悪」ではない(「善」でもないが)。経済行為のひとつである。金融機関等で借りたカネが返せないのは、単なる債務不履行であり、別に罪でもないし不道徳な行為でもない。貸した方は審査をして利息を取って儲けようとしているのだから、当然に貸し手にも責任はある。

そもそも論として、カネを返せない程度でその人への人格攻撃や道徳や倫理をどうこういうのは筋違いである。

たかだかカネを借りただけで、時としてカネを返せなくなっだけで大騒ぎするのは馬鹿馬鹿しいことである。

 

とは言え、借金を返せない人たちへのバッシングは後を絶たない。

「借りたカネは必ず返す」というイデオロギーは社会的強者、エスタブリッシュメントが己に都合が良いように庶民に強いた道徳もどきに過ぎないのだ。

大企業や銀行の借金の棒引きを認め、税金を無駄使いして救済するが、庶民のローンの棒引きは一切認めない。庶民の借金を帳消しにするためには自己破産や民事再生手続しかなく、これらの手続のハードルは決して低くは無い。世間では自己破産者にはスティグマが刻まれることもある。

 

確かに多額の借金を完済した行為には敬意を持つし、その努力はすごいことだと素直に思う。

しかしその行為を殊更に賞賛し、当たり前だとされると借金に苦しんでいる人たちをさらに苦しめることになりかねない。

借金を返済するために無理して働いて心身を壊したり、最悪の場合は自ら命を絶つこともある。

たかが借金のために心身を擦り減らしたり、命を絶つことなんてない。

時と場合によっては借金を踏み倒してもよい。カネよりも命の方が大事に決まっている。

踏み倒すとまではいかなくても、合法的に借金を無くしたり減らす方法は幾らでもあるし、相談・支援機関も結構ある。

 

この手の話を書くと、モラルハザードを誘発するとか、きちんと借金を返している人たちとの公平性が保てない、とエスタブリッシュメントの飼い犬や自称良識派の輩があれやこれや言ってくる。

モラルハザードを起こしているのは大企業や大銀行が先である。公平性うんぬんも支配者の屁理屈に過ぎない。

まずは自分や家族の生活を普通に営めることが先決であるのは当たり前のことである。

この庶民のリアリズムが考慮の埒外に置かれがちであるが、決して忘れてはならない。 

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