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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

ダメ人間だからこそ楽しく生きていける件

生きるということ 社会について考えてみる

このブログで何度も書いているように、僕はダメ人間である。

しかも困ったことに歳を重ねるごとにダメ人間度がアップしている。

雇われて働くことが日を追うごとに嫌になっている。1日8時間労働、週5日勤務なんて僕にとっては労役、苦役以外の何物でもない。今は短時間のパート労働をなんとかできているが、近い将来はそれすらもできなくなるのではと恐怖に慄いている。何と言っても世間では「働かざる者、食うべからず」というはた迷惑な「常識」がまかり通っていて、僕は怠け者のダメ人間であることが確定となってしまう。

 

自分がダメ人間であるということを受け入れることができれば、確かに生きづらさはかなり軽減される。

他者からの期待に応えようとあくせくしなくてもいい。

他者からの評価に一喜一憂しなくてもいい。

自分にできないことが山ほどあっても、できるようになろうとしんどい努力をせずともいい。

自己実現神話、成長神話という幻想に踊らされなくなると、今の自分というものを肯定できる。この自己肯定感こそが今の僕の宝物である。

この自己肯定感さえ失わなければ、僕は楽しく生きていける。

 

このように書いていくと良いこと尽くめのようだけれども、実際はそうとも言い切れないのが辛いところだ。

社会的に成功した知人・友人を時々羨ましく思うこともある。嬉々とした表情で仕事に励んでいる人たちを見るとこれまた羨ましく思ってしまう。

自分がこの世から取り残された気分になることもある。

あるいは僕の才能・能力を活かされていないと感じることもある(そもそも僕に才能があるかどうかも疑わしいが)。

僕は往生際が悪いのだ。

ダメ人間であることを完全に受け入れることができていないのだ。自分はまだまだこのままでは終わらないぞ、という思いが心の片隅で渦巻いているのである。過去のちっぽけな成功体験がそうさせているのかもしれない。自己肯定感が暴走しているのかもしれない。

僕は自分がダメ人間であることを「ほぼ」受け入れているけれども、諦めの境地には達していないということだ。本当に往生際が悪い奴である。

 

僕がこのブログを書き続けている理由のひとつはこんなダメ人間でも立派(?)に生きているぞ、と伝えたいからである。死ぬような思いをしてまでも働くことはない、ということも伝えたい。

勤勉至上主義・労働至上主義というイデオロギーは善でも正しいことでもない、怠惰は悪でも間違ったことではない、とひっそりと小さな声で主張したいだけなのだ。まあ、僕がダメ人間であることを正当化したいだけなのかもしれないけれども。

 

僕は自己を正当化するためにも、こう主張したい。

ダメ人間であればこそ、楽しく生きていける。

社会的地位なんて望めないし、ビンボー生活が続くことは間違いなしだけれども、どうってことはない。

人はどんなに足掻いても必ず死ぬ。

限られた「生」を全うすることだけでも凄いことなのである。

人についた「価値」なんて無意味なのである。

人生は楽しむためにある、というこの思いだけは忘れないでおきたい。