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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

「仕事一筋」はそんなに立派なことかという件〈再掲〉

仕事に人生を捧げる生き方はそんなに賞賛に値することだろうか。

仕事は人生の一部に過ぎない。仕事以外にも大切なことは山ほどある。

仕事人間は仕事しかしていない偏った生き方をした人たちである。そんな人たちを立派だとする考え方は労働至上主義イデオロギーに毒されたものである。

 

初出 2015/10/14

 

この国では「仕事一筋」に生きてきた人を賞賛する傾向がある。この手の人たちをメインにしたドキュメンタリー番組やノンフィクションの本が多く世に出ている。多くの需要があるのだ。

 

僕は天邪鬼である。ひねくれ者である。

「仕事一筋」ということは、仕事以外に何もせず何も考えてこなかっただけじゃないかと言いたくなる。この社会のことを、家族のことをきちんと省みて生きてきたのか、と問いたくなる。

 

「仕事一筋」の人たちを持ちあげるメンタリティが僕には理解できないし、はっきり言って嫌いである。

このメンタリティは「労働至上主義」「勤勉至上主義」といったイデオロギーに毒されたものである。

仕事だけの人生なんて僕には考えられない。いびつなものだと思ってしまう。

「仕事一筋」だと嘯く人たちは、仕事以外の物事から目を背け、仕事に逃げただけなんじゃないかと思ってしまう。

 

僕は「仕事一筋」に生きてきた人たちを貶めるつもりはない。それはそれで立派な生き方だし、敬意を表する。

しかし、「仕事一筋」の生き方は、色々とある生き方のうちのひとつに過ぎない。仕事は適当にこなし、仕事以外の領域に精魂を傾けてきた生き方と優劣があるわけではない。「仕事一筋」の生き方を殊更に賞賛し、それ以外の生き方を下に見るような風潮がおかしいと思うだけなのだ。

 

その人の人生が仕事によってのみで決まるわけではない。仕事に対してどのような態度を取るかは全くの本人の自由である。たとえ仕事・労働を忌避するような態度を取ったりそのような考えを持っていたとしても他人がとやかく言う筋合いのものではない。その程度の自由は絶対に認められるべきである。当然に仕事に重きを置かない人たちに対して、「役立たず」だの「劣った人間」などといったレッテルを貼る行為は愚かなことである。仕事に対する態度や仕事ができるかどうかで人を選別することがあってはならない。

 

この社会とどう向き合うか、他者とどのように関わりあうか、そして自分の頭で物事を考え判断し行動するかが大切なことだと僕は思っている。もちろん、これらのことは仕事をしていくうえでも大切なことだし、仕事によって実現できる側面がある。しかし、仕事というフィールドだけでは限界がある。仕事だけをしていれば事足りるというわけではない。

 

「仕事一筋」の生き方は「仕事道」的なものである。精神主義と親和性がある。行き過ぎた精神主義は多くの弊害を生む。

 

「仕事一筋」は決して立派なものではない。

数ある生き方の選択肢のひとつに過ぎない。

「仕事一筋」であることを誇る人たちを僕は覚めた目で見ている。