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希望の舎―キボウノイエ―

漂泊を続ける民が綴るブログ。ちょっとナナメからの視点で語ります。これからの働き方・中世史・昭和前期の軍の組織論・労働問題・貧困問題・教育問題などに興味があるので、それらの話題が中心になります。

精神論が幅を利かす社会はお先真っ暗だという件

社会について考えてみる 歴史に関連したことについて考えてみる

僕は精神論、根性論、精神至上主義の類が嫌いである。

それらを振りかざす輩は無能だと決め付けている。全くの独断と偏見であるがあながち間違ってはいないと思っている。

 

戦時中の軍部のエリート層・指導層は精神至上主義に傾きすぎたためにあのような悲惨な末路に至った。戦略のキモは次善の策を用意しておくこと、兵站を重視すること、撤退の際の決断等である。当時の軍部では作戦が失敗したらどうするといった類の提案をすると「敗北主義者」のレッテルが貼られ、排除されたという。

今に生きる僕たちは当時の軍部を笑えない。なぜなら、このメンタリティは現在にも脈々と受け継がれているからである。

 

現在のサラリーマンはあるいは会社社会は精神論に毒されていないだろうか。

長時間労働になるのは遅くまで残って仕事をすることが、「頑張り」であって美徳であるという精神論的なものが影響している。

特に営業の領域では一軒でも多く見込み客を回れ、足で稼げ、といった非効率で非合理な方法論が未だにまかり通っている。

業績が悪化しているのは経営戦略が稚拙なことによるのに、社員の頑張りばかりを強調したりしていないだろうか。経営者の無能さを隠蔽し、社員に責任をなすりつけているだけなのではないか。

 

教育の領域でも未だに精神至上主義的な事柄が多い。

少し前に問題となった組み体操にしても、やたらと子どもの達成感や連帯感を育むためだと言っているが、実は教師の自己満足と精神論に過ぎないのではないか。子供たちにやる気や意欲を上から強制し、逆に子供たちの意欲を削いではいないだろうか。

 

精神論や根性論は責任逃れのしやすさが内在しているために、組織のトップたちはこれをありがたがるのである。

例えば前述のように会社の経営が芳しくないときに、社員の心がけや頑張りの度合いにばかりに責を負わせ、経営戦略や情報分析等の稚拙さをうやむやにする、すなわち経営陣のミスを隠蔽し責任逃れの方便にするのである。

 

困ったことにこの国では未だに精神論を好む土壌がある。

個人の心がけが良いことを殊更に持ち上げたり、やる気のあることを表に出せば多少のことは多めに見てくれる。声の大きな者が発する精神至上主義的な内容の発言に引きづられる傾向がある。

 

内容が空疎な精神至上主義者の言動に煽られ、踊らされた挙句に泥沼の戦争に突き進んだ過去の歴史にもっと真摯に学ばなければならない。

歴史とまでの大きな話ではなくても、僕たちの身近にころがっている不条理な精神論や根性論に抗う勇気を持たなければならない。

 

精神論が幅を利かす社会に明るい未来はない。